文:訳す「夏の落とし物ーJohn Sykesの “Please Don’t Leave Me”を訳してみた」




 おおこれは懐かしい、Uniteで青山英樹さんと撮った神的1枚。


 何もかも自分の思い通りに行かないように見えることがあるよね。実はそうじゃないんだけどさ。人間の目って複眼じゃないから、一度に見られることは少なくて、いいことが目に入らなくなってしまう。

 誰かに恋をしてしまうとまさにそういう感じで、どうしてそんな相手にいつまでも未練があるのか、自分でも解らないくらい思いを剥がすことができなくなる。

 なんて時代ももう通り過ぎてしまった私に執着があるとすれば、昨日食べ残したケーキをいつ食べるべきなのかとか、非常につまんないことばっかしでw




 高見沢さんかと思ったw


 ジョン・サイクスというミュージシャンを、今回ひょんなことから知ることとなり、彼の、きっと一番人気じゃないかと思われる曲 “Please Don’t Leave Me”を聞き、その歌詞の解りやすさに、ああキャッチーってのはこういうのを言うんだなとつくづく思った。

 ちょっと切ないメロディに、夏の恋を悔いる内容。いやあドンピシャでしょ。こういう恋を、人は多分生涯に2回以上は絶対、してるんじゃないかな。



 個人的に、恋をすることより、失恋することが大事だと思っている。敗れて傷ついてボロボロにならないと、人は人に優しくなれないもんだ。もちろん元々優しい人だってたくさんいる。けれど、私みたいな凡人は、軽く落ち込んだだけで優しさを奪われるくらい人間がちっちぇえもんだから、傷がいっぱいつかないとダメなんじゃないかと思っている。てか今もダメなんだけどさ。


 こういう解りやすい詞を読むと、ついついそのまま訳すだけでなく、自分なりの、ちょっとだけ風変わりな訳詞にしたくなってしまうので、今回はそれもしてみた。


 ではまず原文を。


**************************


In the summer we'd be crazy

We'd fool around all the time

Oh how I loved that girl when she was mine


But now she'd left me for another guy

And it really brought me down

For without that girl

I was lost and found


☆Oh darling please don't hurt me this way

Oh darling please don't leave me

Oh darling please don't hurt me this way

Oh darling please don't leave me


Now I get messed up and I fool around

But there's no fun anymore

They say times must change

But I'm not so sure


Lost lovers of summer

As you go your separate way

Remember memories you owe

Won't bring back those special days



In the summer we'd be crazy

We'd fool around all the time

Oh how I loved that girl when she was mine


Lost lovers of summer

As you go your separate way

Remember memories you owe

Won't bring back those special days



********************************


英文法的に説明が必要だとすればラストくらい。


As you go your separate way

Remember memories you owe

Won't bring back those special days


1行目のasは多義語で、いろんな意味があるのだけど、ここはオーソドックスに理由(=because)で取ってみる。それとこのyouは一般人称のyouとも取れるが、この詞を読んでいる読者に呼びかけていると考えても良いだろう。


2行目のrememberは、動詞で始まっているので命令文であると解る。that節のthatの省略が起こっており、「次のことを覚えておいてくれ」という意味。で、次はこんな構文。


memories [you owe] won't bring back those special days


you oweの前に関係詞が省略されていて、memoriesが先行詞。ここ全体が文の主語になっている。受ける動詞はwon’t bring (back)。



 では、今回はまず直訳バージョンから。


***************************


その夏俺たちは互いに夢中だった

いつだって一緒にくっついてた

どんなに愛していたんだろう

彼女が俺のものだった時に


でも今、彼女はとっくに俺から去って

他のやつのところへと

本当に参ったよ

あの子がいなきゃ

俺はまるで誰かの落とし物


☆ねえ、そんな風に俺を傷つけなで

俺をひとりにしないで

俺を打ちのめさないで

俺から去っていかないで


今、俺はもうめちゃくちゃで

遊び歩いたりしているけど

全然楽しくなんかない

時が経てば変わるってみんな言う

けど、そんな気がしない


夏に終わった恋人達よ

俺達は別の道を行くんだけど

覚えておいてほしい 抱えてる思い出達は

あの特別な日々を戻してはくれないってことを



その夏俺たちは互いに夢中だった

いつだって一緒にくっついてた

どんなに愛していたんだろう

彼女が俺のものだった時に


夏に終わった恋人達よ

俺達は別の道を行くんだけど

覚えておいてほしい 抱えてる思い出達は

あの特別な日々を戻してはくれないってことを


********************




で、以下は折角なのでちょっと遊んでみました的な訳詞。

お気に入りの七五調にしてみた。




********************


狂ったように互いだけ

求め続けたあの夏に

どれ程焦がれていたろうか

腕に抱かれて眠る君


今や全てが過ぎ去って

気づけば取り残された俺

夏の盛りを捨て切れぬ

片方だけのビーサンだ


★海岸線にひとり立ち

君の名前を呼んでみる

返らぬ声は波に溶け

返らぬ恋が打ち寄せる


心は粉々 散々で

一夜の遊びも虚しくて

時が経てばと言うけれど

思いは落ち葉のよに積もる


二度と届かぬ夏は過ぎ

行き合いの空 歩き出す

思い出だけを携えて

戻らぬ日々と言い聞かせ



狂ったように互いだけ

求め続けたあの夏の

素肌の匂いだけ抱いて

君の心はすり抜けた


二度と届かぬ夏は過ぎ

行き合いの空 歩き出す

思い出だけを携えて

戻らぬ君を見つめてる


***********************


昔、オフコースの曲に「夏から夏まで」ってのがあって、ちょっと雰囲気が似てるなあと思いながら訳した。

あれも多分、87年とか86年とか、その辺。

80年代ってのは、名曲揃いで、ある意味贅沢な時代かもね。


という訳で、スーパーハイパーギタリスト、当ブログきってのご贔屓インストバンドSensationのリーダー大賀好修さん、今回もありがとうございました。これも歌ってほしかったな〜。















文:訳す「カエルの歌と名前のない馬ーAmericaの“A Horse with No Name”を和訳してみた」



 今日はこの方、Sensationの大賀好修さんがきっかけの話です。


 8月最後の日曜日、実家から戻った夫(果樹畑のために毎週帰っている)がいつも以上にニコニコしながら「おもちゃを、持ってきたよ」という。きっと自分の趣味の、F1のミニカーの類だろうとタカを括っていたら、車からこれを持ってきた。



 いきなりである。なんの前触れもなく。どこで拾ってきたのかと聞くと、拾ったんじゃない、これはM君のなんだよ、という。

 M君とは夫の弟、つまり私の義弟にあたる。6、7歳年下のMさんが昔バンドをしていたなんて聞いたことがなかった。すると夫も、俺もバンドしてたとかは聞いてない、という。いやいや待ってよ、こんなエレキギター持っててバンドしてないってのはないでしょ、というと夫は、君だってエレキギター持ってたのに、バンド組んでた訳じゃないんでしょ、と返す。

 確かにそうだけど、私は店で一番安いのを買って、なんとなくやってたけど、どう覚えたらいいのかも解らなくて結局挫折したってだけのことであって、Mさんのこの、本格的な感じのギターとは違うから。ところでこれ、ウチに持ってきていいの?


「M君の部屋にこんなのがあったな〜って思ってたらちょうど今日、M君が子供連れて来たから、聞いてみたらいいって。今、子育て真っ最中だし」

「1歳と2歳じゃあギター背負う時間はないよねえ」

「だから、持ってきた。見せようと思って」


 持ってきたってあんた、こんなもん私に見せちゃったらどうなるか解ってんでしょうねえ。


「ねえ、アンプは?」

「は?」

「アンプだよ、音の出るやつ」

「ああ、あの黒い箱みたいな。あったよ」

「それと、シールドと、ストラップと、ピックは?」

「シールドってなに」

「繋ぐヤツ、箱とギターを。それと、ストラップとピック」


 すると夫のポケットから、これまた超ミニサイズのピックが1枚出てきた。Mさんが持って行くようにと言ったのだろうか。


「じゃあさ、来週アンプとシールド持ってきて。それとストラップも」

「はああ⁈」



 翌週の姿。エフェクターもあります。使ってないけど。


 実力はお墨付き、当ブログきってのご贔屓ギタリストでありインストバンドSensationのリーダーでもある大賀好修さんのオンラインサロンに入会し、毎週彼からギターの話を夢中で聞くようになって1年が過ぎた。だが自分からギター買おうなんて思ったこともなかったし、ましてやもう一度弾いてみたいなとも思わなかった。理由は、若い頃挫折して、難しいと解っていたので。



 ところがこうして目の前にギターをポンと置かれると、きれいな音を出してみたくなるのが人情だ。あの頃と違って、どうやって習えばいいかもなんとなく解る。別に今からミュージシャンを目指す訳じゃないんだし、趣味のひとつとしてギターを嗜むのもいいんじゃないか。せめてコードくらい抑えてダウンストロークで演奏しながら歌えたら楽しいことこの上なしなんじゃないのか。


 ギターに「フェルナンデス」と書いてあったので少しだけ調べてみると、どうやら日本のメーカーで、我が家に来たこの子は初期モデルの一つである、いわゆるコピーモデルらしい。今でも現役で活躍しているメーカーさんであるどころか、結構な有名ギタリストがご愛用でもあるとのこと。アンプ内蔵ギター「Zo-3」を作ってるのもここだとか。

 これ持っててバンドやってない訳ないと思うんだけどなあ〜。いつか聞いてみよう。


 結局、Mさんからの伝言で、ストラップは切れちゃってないとのことだった。そこでAmazonで、格安ストラップとピック(1回書い直した。最初に買ったのがあまりにペラペラだったので)とギタースタンドを買い、まもなくシールドがダメになったのでこれも買った。アンプも音が時々ザリザリ言ってかなりイカれているのでそのうち買わないといけないと思う。練習用のだと大体7,000円くらいで出来そうだ。ブリッジも錆びているので替えたいと思ったが、今ついているのと同じようなのが大体14,400円くらいすると、Amazonを調べた夫が言うので、残念だけど先送りに。


 弦は、Mさんが最初に1弦と2弦のみ替えてくれてあったのだが、他の弦もサビサビで押さえにくいったらなかったので、中の掃除と共に夫に頼んだ。すると分解好きの夫は実家でギターを解体してしまった。以下がその写真である。





 なるほど、中にバネがあるというのは本当なのだ。写真を見て理解できるのはオンラインサロンでの講習(?)の成果である。

「ようやく解ったよ。音合わせをする時にペグをひとつ変えると全部ちょっとずつ音がずれるって言ってた理由が」

「え、どうして変わるの?」

「バネでしょ?だから、フレミングの法則だよ」

「は?」

「物理なんだよ」

「はああ?」


 まあここは解らなくても別にギターは弾ける(笑。

 無事、夫に中を掃除してもらい、弦も張り替えてもらい(自分でやれよw)、練習が始まるのであるが、教本が必要だと思ったのでこれを買った。



 今回、本の条件として、Amazonで買ってKindleで見られるのがいいなと思った。普通なら物理的な、ページを捲る本がダントツに好きだが、今回は、ギターを弾きながら見るのだから、タブレットで開ける方が絶対楽だ。

 そして、思いっきり初心者でも大丈夫な本にしようと思った。基礎からちゃんと教えてくれるのがいい。とすれば、ギターを教える動画配信をしていたりする若い人の作った本は見てみる価値はあるんじゃないかと。


 ギターの各部の名称はもちろん、揃えるもの、持ち方、姿勢、手の位置など、細やかなアドバイスをこの本はくれる。そしてコードの前に練習するのが「カエルの歌」である。

 ひとつずつ音をピッキングしながら演奏するのだが、後半の8分音符のところを、アップとダウンとを交互に弾くように指示がある。これが難しいw 

 ギターを弾く日は毎回これを練習している。意外にも楽しくやっている。


 この次に漸くコードを押さえる話になる。今、セーハという、人差し指全部でフレットを押さえる部分まで来ているが、やはり難しい。とはいえ、これが出来なくったって弾ける曲があるんじゃないかと思い、Googleで「コード3つで弾ける曲」と検索してみた。昔はこういうことできなくってさ〜。今はほんと便利になったよね。


 検索すると何曲か引っかかり、そのうちの1曲がアメリカの「名前のない馬」だった。まさかあの名曲が、コード3つ、しかも1つは指1本という、超初心者でもトライしてみようかなと思えるコードで出来ている楽曲だったなんて。しかも歌詞さえあれば歌もばっちし歌える。



 これに登場するコードは、Em・Emaj7・D6の3つ。ギター弾く人ならお解りだろうが、笑っちゃうくらい簡単。とはいえ、これをきちんと鳴らしてストロークしながら歌うのは初心者には難題。でも教本のストロークの仕方を見様見真似でなんとなくやっていると出来た気になるから不思議である笑。今、カエルの歌と共に一生懸命練習している。


 弾ける曲を探して弾けばいいんだよね。あれを弾きたいから、っていうモチベーションももちろんありだし普通はこっちだろうけど、今回の私みたいに、降って湧いたみたいにギターがやってきました、なんていう場合とか、これも私のように、これまでのソコソコ長い人生の中でたくさんの楽曲に出会ってきて、好きな曲がたくさんあるという場合には、簡単に弾けそうな曲に数多くトライしてみるというのも、案外いい方法かもしれない、人生を豊かにするには。



 で、ここからがちょっと他の方と違うところかも知れないけど、ギター弾きながら歌ってたら、歌詞の意味を知りたくなり、考えているうちに、歌詞を訳したくなってきた笑。そこでここからはいつもの英文法解説付き和訳、行ってみよう。


 その前に、ぜひ、この曲を知るきっかけを書いておきたい。1986年の幻の音楽テレビショー “Merry X’mas Show”において、KUWATA BAND、アルフィー、チェッカーズ(懐!)の面々が、大昔の歌声喫茶よろしくスタジオセットに集まってみんなで歌った1曲が、この「名前のない馬」だった。ぜひ見て頂きたい。このYouTube動画、画質は荒いが音が実によく、見応えもある。時々映る高見沢さんの可愛いこと可愛いことw 

 87年のショウの方かと思ってたけど、86年だったんだなあ。なんてかっこいい曲だろうと思った記憶がある。





ではここからは歌詞の話へ。



*******************


On the first part of the journey

I was looking at all the life

There were plants and birds and rocks and things

There was sand and hills and rings


The first thing I met was a fly with a buzz

And the sky with no clouds.

The heat was hot and the ground was dry

But the air was full of sound


☆I've been through the desert on a horse with no name

It felt good to be out of the rain

In the desert you can’t remember your name

'Cause there ain't no one for to give you no pain

La la la… 


After two days in the desert sun

My skin began to turn red

After three days in the desert fun

I was looking at a river bed

And the story it told of a river that flowed

Made me sad to think it was dead


★You see ☆


After nine days I let the horse run free

'Cause the desert had turned to sea

There were plants and birds and rocks and things

There was sand and hills and rings


The ocean is a desert with its life underground

And a perfect disguise above

Under the cities lies a heart made of ground

But the humans will give no love



*********************


<語彙>

ring:いろんな意味があるが、「競馬場、競技場、土塁、土手」といった意味もある。ここはsandとhillsと並んでいるのでこっちの意味で捉えてみた。もちろん、ダブルミーニングと捉える事も可能。

river bed:川床

disguise:偽装、見せかけ、誤魔化し


 

 ネットを見ると、有名な曲だけあってたくさんの方がこれまでに翻訳しているのが解ったし、その中には修正がほとんどいらないくらい素晴らしいものもあった。

 とはいえ、もちろん文法アプローチでこの詞を訳しているものはなかったので笑、ここでは出来るだけ英文法の視点で考えてみる。



 で、文法そのものよりまずこの話。私が見た歌詞は上の通りなんだけど、下の部分、


In the desert you can’t remember your name

'Cause there ain't no one for to give you no pain


ここね、このcan’tのとこがcanになってて訳している方も結構いたんだよね。どっちが正しいのかってはっきりは解らないけど、Google先生は否定形の方だって言ってた。

 ぶっちゃけ言うと、canの方が意味はわかりやすい気もするんだ。下の部分が「というのも、痛みを与える人など誰もいないから」となるので。

 で、今訳した部分だけど、まず否定語がain’t, no, noと3つ入っているのだが、ここは全ての意味を取るのではなくて、1つだけあると取らないと多分意味的におかしい。またここにforが入る理由が解らず、調べてみたがやはり説明には行き当たらなかったので、本来の用法としては不可=「破格の文」ということになるのではないかと思う。



 で、やっと文法。今回はこの文。


…I was looking at a river bed

And the story it told of a river that flowed

Made me sad to think it was dead


ここがねえ、ちゃんと意味の取れている方もいらしたけど、どうも雰囲気に流されて訳してんじゃないかなあ〜って訳もあったので、いつものようにうざったい構文解説を。


I was looking at a river bed


And the story [(which) it told ◆ of a river [that flowed]] 

                                  it=the river bed


made me sad to think it was dead


itは前の行のa river bedを指すと考えられる。その前には関係代名詞が省略されており、先行詞はthe story。これが本来は◆の部分にあったと考えられるので、ここを考察する際には、元の文


The river bed told the story of a river.「その川床は川の物語を語った」


を想定して訳さないといけない。

 更にそのa riverには関係代名詞節that flowedがくっついている。この関係代名詞節内に単語がいっこ=自動詞のみ、というケースは結構あるのだが理解しにくい。

 で、例文を書こうと思って辞書を引いていたら、上の話とはちょっとズレるけど自動詞matterの例文でどうしようもなくおかしいのがあったのでそれを書いておく。訳も含めて、「ジーニアス英和大辞典」のプラスの用法である。


 “He is nice-looking, not gorgeous, but I do like him.”

“Yes, I think your new boyfriend is great. He is kind, friendly, and romantic. His face does not matter.”

 

「彼はかっこよくて、すごくハンサムとはいえないけど私はとても好きよ」

「うん、君の新しいボーイフレンドはすばらしいよ。親切で、人当たりがよく、ロマンティックだね。顔は重要ではないよ」


やるなあジーニアス。逆に「顔が大事」としか聞こえてこないんだけど(爆笑。


 後半の、sad to thinkは<感情を表す形容詞+不定詞の副詞用法>で、「〜して悲しい」の意。

 まとめて直訳すると、


「私は川床を見つめていた。そしてその川床が話す、かつて流れていた川の物語が、私を、それがもう枯れてしまったのだと考えると悲しくさせた」


となる。



 では最後に文法を意識して鑑賞。ラストのこの部分。


The ocean is a desert with its life underground

And a perfect disguise above

Under the cities lies a heart made of ground

But the humans will give no love


これまでぜーんぶ過去形で語ってきているのに、ここだけは現在形と未来形が使われていることに注目してほしい。つまり、語り手にとって身近な、今を語っている部分である。だから寂しい詞なのだ。will not give loveよりもwill give no loveとすると、名詞をnoで否定しているのでより否定の度合いが強くなる。まあ、歌詞だから語呂合わせとかもあるんだろうけどね。


以上を踏まえて、和訳、行ってみよう。


**************


旅の最初には

人生を見つめてた

花が咲き鳥が鳴き 岩なんかもあった

砂地も丘も 土手もあった


最初に出会ったのはブンブンと唸るハエ

空には雲ひとつなくて

気温は高く地面は乾いて

空気はざわめきに満ちていた


☆名前のない馬に乗って砂漠を進んできたんだ

一滴も降らなかったが気分はよかった

砂漠では自分の名前だって覚えちゃいられない

誰かのために苦しむこともありはしないから

ラララ


2日後 砂漠の日差しに焼かれ

肌は赤くなった

3日後 砂漠の慰めの

川床を見つめてた

以前そこを流れていた川にはどんな物語があったのか

枯れ果てた今の姿に 心は沈んだ



9日後 馬を放してやった

砂漠が海に変わったんだ

花が咲き鳥が鳴き 岩なんかもあった

砂地も丘も土手も


海はまるで底に生命を湛えた砂漠

表面からは完璧に隠れて見えないけれど

都会には 土塊でできた心

それに愛を与えぬ人々




*********************



机の横にあるので、いつでも手が届く。


アメリカの音源貼っときます。






文:観る「きれいは汚い、汚いはきれいー映画「マクベス」(2021年)を観る」



以下は一度インスタに載せた記事に若干の加筆・修正をしたものです。


***


独身30代後半の頃、年間に200本くらい洋画を見た時期が3年程続いた。

その頃もブログを書いていた。消去した訳じゃないからきっとネットのどこかに落っこちていると思う。




コーエン兄弟の兄であるジョエル・コーエン監督、デンゼル・ワシントン主演のApple TV制作の2021年の映画「マクベス」を漸く見た。デンゼルはこれでオスカー主演俳優候補になっている。

また、監督の妻であるフランシス・マクドーマンドはデンゼルの相手役。まあ順番としては、メイキングを見ると、マクドーマンドが先に決まっていて、じゃあ誰がいいかなってことで白羽の矢が立ったのがデンゼルとのことだったけど。




メオト写真。監督と女優。いい夫婦だよねえ。


Shakespeare映画は、90年頃の比較的新しい辺りからは殆ど見ている。とはいえ、なぜかマイケル・ファスベンダー主演だったヤツはまだ見てないんだよなあ。ディスク持ってるのに笑(早く見ろ)。




2015年だったのね。これだけ短期間で同じ作家の同じ作品が映画化されるんだから、やっぱしマクベスって話は人を惹きつけるんだね。


余談だけど、B'zの松本さんが大昔若い頃組んでたバンドの名前がマクベスって言ったって何かで読んだんだけど、なんでマクベスだったんだろう?と考えるとやっぱし「野心」の象徴だったからかな〜なんて思ったけど若い頃だから案外「かっこよさそうだったから」とかいう理由だったりしてね笑。




話が硬いのでこのくらい貼っとかないと。

(写真左は勿論当ブログきってのご贔屓ギタリスト、大賀好修さん)


Shakespeare戯曲の映画化だから、全員が話を解っていて見るのがお約束。普段からあらゆるジャンルで「ネタバレ」が全然平気なのは、多分この辺りが影響している。


それの何が楽しいのかって言うと、例えば原本に


[マクベスとマクダフが]戦いながら登場、マクベスが殺される。


って書いてあったとするとね、じゃあどういう風に殺されていくのか、どんな撮り方=「解釈」をしてるのかってところが大事なのよ。お話=原作自体は映画にとってはプロットであり、それがどのようにビジュアル化されているのかがキモ。(だから、例えばライブのセットリストは私にはプロットと同じで、それがどんな風にビジュアル化=プレイされているのかこそが自分には大事だったりする。)監督によって演出が全く違うので、同じ「マクベス」でも新しい映画が出るたびに楽しみなんだよね。


今回の映画、まさにこのシーンが見どころの一つで、マクベスが如何に野心と欲望に塗れてしまっていたかを象徴していた。


マクダフと戦ううちに王冠が外れるんだよね。そうすると、それまで騎士道に則って剣で戦っていたマクベスが激昂して、脚で思いっきりマクダフを蹴飛ばす。後ろにひっくり返るマクダフ。

足蹴にする訳よ。それって物凄い侮辱でしょう?相手が腹を立てない訳がない。にもかかわらず、マクベスはそこでとどめを刺せば間違いなくマクダフに勝てたのに、くるっと後ろを向いて、王冠を拾おうとするんだよね。それによってマクベスは討たれることとなる。

王冠はマクベスにとって、権力の象徴。自分が血で血を洗うような殺戮を繰り返してでも欲しかったもの。

だからある意味じゃ、自分の命より惜しかったもの。権力のためなら死んでもいい、ってな矛盾。




マクベスって言うと大抵は夫人が超悪でw、こいつがけしかけなきゃマクベスはあんなワルにはならなかったって見方が大半なんだけど、そこを少し違う解釈にしたのが、この映画の新しいところだったと思う。


確かに焚き付けたのは夫人ではあったが、その後明らかに気が狂れていくマクベスが、マクダフ夫人とその子供達まで虐殺しようとするところで、夫人が微かにドン引きしているのが解る(フランシス・マクドーマンド上手すぎだ)。

それと、バンクォーの息子フリーアンスが王になるという魔女の予言について、「もしそうなるんなら俺はあいつの息子が将来王になるためにダンカンを殺したようなもんじゃないか!フリーアンスは俺の息子じゃないんだぞ!」ってなことを言うシーンでも、ちょっとだけ「え?そこかよ」みたいな笑、いや、いい意味で、違和感を覚えている顔をしていたように思えたんだよね。この辺り、これまでのどのマクベス夫人より感情移入出来た。




でもさあ、今回何が凄かったかって、ロス(の領主)のキャラ設定だよね。と言うかね、ロスはロスだけじゃないのよ。ロスは、3人目の暗殺者であり、脚本では無名の貴族であり、マクベスの頭を持ってくる人物であり、フリーアンスを匿う人物でもあるのだ。

あえて「は?」って思われるかもしれないことを言うと、今回のロスはさ、魔女のセリフに出てくる「あたいらのご主人がた」の1人が生まれ変わった姿じゃないかと思うんだ。有体にいえば、シニガミ。


シニガミが子供を助けるのかって言われると何とも言えないけど、ラストシーンのあの猛烈な数のアレでのブラックアウトとか思うと、そう解釈しても間違ってないんじゃないだろうか。


マクダフとの関係のおいては解釈の仕方のよっては敵か味方か解らないところもあり(妻子に身の危険を忠告しには行くが、結果的に見殺しみたいなもんじゃん?でもそのことを涙ながらにマクダフに報告しに行くじゃん)どっちつかずのところや、魔女を演じた役者が老人役を兼任しておりそこと絡んでいる(そう言えば老人の台詞の中に二枚舌を思い起こさせるのがあるよね。「敵を味方とする人たち」ってとこ)こととか、何より階段の上にいる王妃をじっと見つめているあの瞬間。素晴らしく斬新な解釈。


シニガミに魅入られた将来の若き王に、明るい未来が待っているかどうかは解らない。

けれど、シニガミだからこそ、無駄死にはさせない気がする。あの少年に。そこに未来があると私は信じたい。




Shakespeareものを自宅で見る時は必ず原本か訳本を片手に見るんだけど、今回字幕を見ながら「なんかこれととっても似てるなあ〜」と思っていたら、翻訳の元は私が見ていた本だった笑。

角川文庫から出ている、河合祥一郎先生の訳本。表紙の絵が金子國義氏でとてもアバンギャルドで好きなシリーズ。角川のShakespeareはみんなこの方の絵なので、お好きな方がいらしたら是非手に取ってみてほしい。




全体的にモノクロの画像が見事で、光と影のコントラストが実に美しい。人間の中にある薄暗いところとか、逆に激しくどす黒いところとか、ビジュアルで描き分けているのが素晴らしい。モノクロなのに単調に感じないのが凄いと思う。


人間の欲望はどれだけ手を伸ばしてもキリがなくて、落ちていく奈落にも底はない。

「消えろ、消えろ、束の間の灯火!人生は歩く陰法師。哀れな役者だ」




「謀反人って何?」

「誓いを立てて、嘘をつく人」

「そうする人は、みんな謀反人?」

「そうする人は、みんな謀反人。縛り首になるの」

「誓って嘘をつくとみんな縛り首なの?」

「一人残らず」

「誰が縛り首にするの?」

「それは、正直な人」

「じゃあ、誓いを立てる人も嘘つきも馬鹿だね。だって、誓いを立てる人も嘘つきもたくさんいるから、みんなで正直な人をやっつけて縛り首にすればいい」

ー『マクベス』第4幕第2場より(河合祥一郎訳)