以下は一度インスタに載せた記事に若干の加筆・修正をしたものです。
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独身30代後半の頃、年間に200本くらい洋画を見た時期が3年程続いた。
その頃もブログを書いていた。消去した訳じゃないからきっとネットのどこかに落っこちていると思う。
コーエン兄弟の兄であるジョエル・コーエン監督、デンゼル・ワシントン主演のApple TV制作の2021年の映画「マクベス」を漸く見た。デンゼルはこれでオスカー主演俳優候補になっている。
また、監督の妻であるフランシス・マクドーマンドはデンゼルの相手役。まあ順番としては、メイキングを見ると、マクドーマンドが先に決まっていて、じゃあ誰がいいかなってことで白羽の矢が立ったのがデンゼルとのことだったけど。
メオト写真。監督と女優。いい夫婦だよねえ。
Shakespeare映画は、90年頃の比較的新しい辺りからは殆ど見ている。とはいえ、なぜかマイケル・ファスベンダー主演だったヤツはまだ見てないんだよなあ。ディスク持ってるのに笑(早く見ろ)。
2015年だったのね。これだけ短期間で同じ作家の同じ作品が映画化されるんだから、やっぱしマクベスって話は人を惹きつけるんだね。
余談だけど、B'zの松本さんが大昔若い頃組んでたバンドの名前がマクベスって言ったって何かで読んだんだけど、なんでマクベスだったんだろう?と考えるとやっぱし「野心」の象徴だったからかな〜なんて思ったけど若い頃だから案外「かっこよさそうだったから」とかいう理由だったりしてね笑。
話が硬いのでこのくらい貼っとかないと。
(写真左は勿論当ブログきってのご贔屓ギタリスト、大賀好修さん)
Shakespeare戯曲の映画化だから、全員が話を解っていて見るのがお約束。普段からあらゆるジャンルで「ネタバレ」が全然平気なのは、多分この辺りが影響している。
それの何が楽しいのかって言うと、例えば原本に
[マクベスとマクダフが]戦いながら登場、マクベスが殺される。
って書いてあったとするとね、じゃあどういう風に殺されていくのか、どんな撮り方=「解釈」をしてるのかってところが大事なのよ。お話=原作自体は映画にとってはプロットであり、それがどのようにビジュアル化されているのかがキモ。(だから、例えばライブのセットリストは私にはプロットと同じで、それがどんな風にビジュアル化=プレイされているのかこそが自分には大事だったりする。)監督によって演出が全く違うので、同じ「マクベス」でも新しい映画が出るたびに楽しみなんだよね。
今回の映画、まさにこのシーンが見どころの一つで、マクベスが如何に野心と欲望に塗れてしまっていたかを象徴していた。
マクダフと戦ううちに王冠が外れるんだよね。そうすると、それまで騎士道に則って剣で戦っていたマクベスが激昂して、脚で思いっきりマクダフを蹴飛ばす。後ろにひっくり返るマクダフ。
足蹴にする訳よ。それって物凄い侮辱でしょう?相手が腹を立てない訳がない。にもかかわらず、マクベスはそこでとどめを刺せば間違いなくマクダフに勝てたのに、くるっと後ろを向いて、王冠を拾おうとするんだよね。それによってマクベスは討たれることとなる。
王冠はマクベスにとって、権力の象徴。自分が血で血を洗うような殺戮を繰り返してでも欲しかったもの。
だからある意味じゃ、自分の命より惜しかったもの。権力のためなら死んでもいい、ってな矛盾。
マクベスって言うと大抵は夫人が超悪でw、こいつがけしかけなきゃマクベスはあんなワルにはならなかったって見方が大半なんだけど、そこを少し違う解釈にしたのが、この映画の新しいところだったと思う。
確かに焚き付けたのは夫人ではあったが、その後明らかに気が狂れていくマクベスが、マクダフ夫人とその子供達まで虐殺しようとするところで、夫人が微かにドン引きしているのが解る(フランシス・マクドーマンド上手すぎだ)。
それと、バンクォーの息子フリーアンスが王になるという魔女の予言について、「もしそうなるんなら俺はあいつの息子が将来王になるためにダンカンを殺したようなもんじゃないか!フリーアンスは俺の息子じゃないんだぞ!」ってなことを言うシーンでも、ちょっとだけ「え?そこかよ」みたいな笑、いや、いい意味で、違和感を覚えている顔をしていたように思えたんだよね。この辺り、これまでのどのマクベス夫人より感情移入出来た。
でもさあ、今回何が凄かったかって、ロス(の領主)のキャラ設定だよね。と言うかね、ロスはロスだけじゃないのよ。ロスは、3人目の暗殺者であり、脚本では無名の貴族であり、マクベスの頭を持ってくる人物であり、フリーアンスを匿う人物でもあるのだ。
あえて「は?」って思われるかもしれないことを言うと、今回のロスはさ、魔女のセリフに出てくる「あたいらのご主人がた」の1人が生まれ変わった姿じゃないかと思うんだ。有体にいえば、シニガミ。
シニガミが子供を助けるのかって言われると何とも言えないけど、ラストシーンのあの猛烈な数のアレでのブラックアウトとか思うと、そう解釈しても間違ってないんじゃないだろうか。
マクダフとの関係のおいては解釈の仕方のよっては敵か味方か解らないところもあり(妻子に身の危険を忠告しには行くが、結果的に見殺しみたいなもんじゃん?でもそのことを涙ながらにマクダフに報告しに行くじゃん)どっちつかずのところや、魔女を演じた役者が老人役を兼任しておりそこと絡んでいる(そう言えば老人の台詞の中に二枚舌を思い起こさせるのがあるよね。「敵を味方とする人たち」ってとこ)こととか、何より階段の上にいる王妃をじっと見つめているあの瞬間。素晴らしく斬新な解釈。
シニガミに魅入られた将来の若き王に、明るい未来が待っているかどうかは解らない。
けれど、シニガミだからこそ、無駄死にはさせない気がする。あの少年に。そこに未来があると私は信じたい。
Shakespeareものを自宅で見る時は必ず原本か訳本を片手に見るんだけど、今回字幕を見ながら「なんかこれととっても似てるなあ〜」と思っていたら、翻訳の元は私が見ていた本だった笑。
角川文庫から出ている、河合祥一郎先生の訳本。表紙の絵が金子國義氏でとてもアバンギャルドで好きなシリーズ。角川のShakespeareはみんなこの方の絵なので、お好きな方がいらしたら是非手に取ってみてほしい。
全体的にモノクロの画像が見事で、光と影のコントラストが実に美しい。人間の中にある薄暗いところとか、逆に激しくどす黒いところとか、ビジュアルで描き分けているのが素晴らしい。モノクロなのに単調に感じないのが凄いと思う。
人間の欲望はどれだけ手を伸ばしてもキリがなくて、落ちていく奈落にも底はない。
「消えろ、消えろ、束の間の灯火!人生は歩く陰法師。哀れな役者だ」
「謀反人って何?」
「誓いを立てて、嘘をつく人」
「そうする人は、みんな謀反人?」
「そうする人は、みんな謀反人。縛り首になるの」
「誓って嘘をつくとみんな縛り首なの?」
「一人残らず」
「誰が縛り首にするの?」
「それは、正直な人」
「じゃあ、誓いを立てる人も嘘つきも馬鹿だね。だって、誓いを立てる人も嘘つきもたくさんいるから、みんなで正直な人をやっつけて縛り首にすればいい」
ー『マクベス』第4幕第2場より(河合祥一郎訳)
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