文:見る聴く「おとなの春酣ーHisatsugu Suzuki Trio Feat. Kazuhiko Takeda@Mister Kelly’s(配信にて)ー」





 いやあ〜気持ちいいわあ〜が第一声。

 最初聞いたのは、生ライブ終了後の夜も更けての時間で、そこが実に合うなあと思っていたのだけど、朝聴くと格別。それも春の朝が実に似合うライブ音源である。柔らかな音色のサックス、ギター、ベースの3ピース編成。これがまたいいんだ落ち着いてて。


 サックス奏者の鈴木さんといえば勿論ZARDで知った訳だけど、Twitterなど見ているとメインフィールドはやはりジャズにあって、一度ちゃんと聞いてみたいなあとかねてから思っていた。


 ZARDのライブはとにかくバンドの人数が多い=音数が多くてゴージャスなのだが、ギラつく程の華やかさを醸し出す大賀くん&森丘くんのツインギターの上に乗っかるのが鈴木さんの更なる煌めきを湛えたサックスで、それはもう見事にステージ映えする音の洪水なんだけど、今回のこれはそれとはもう真逆。少ない音の中、互いにそっと音の交換をしあっているようなイメージ。


 3ピースバンドって好きでさ。昔、たまにアマチュアさんのジャズを聴きに行っていた頃は、この3ピースが多くて、それで慣れたのかもしれない。





 鈴木さんのサックスのその渋いこと。深みがあって優しくて本当に春の日差しのような音。そうかあ、こういうのも得意なんだね。当たり前だろうけど。

 バンドカラー の白いシャツを見るとどうしてもSensationの配信ライブの時のベースの麻井くんを思い出してしまう。こんなところもちょっと素敵。


 と思いきやMCではタイトルの “I’ve grown accustomed to her face”についてベースの時安さんに「(意味)解る?…『◯◯は3日見ても飽きない』」っておいおい!爆笑。リラックスしまくりだなwww (「彼女の顔に慣れてきた」ってな意味なんですけどねw)



 でもなんつっても今回の見どころはギターの御大、竹田一彦氏だろう。

 キャップ被ったりしてちょっと可愛い感じすらするんだけど、見るからにすっごいベテランだなあ〜と思って調べたら、御歳、は、は、はあ?!85おお?!!!2度見したよほんと。いやあ、つくづく有難いものを見せて頂いてる気がするわ。この左手の動きのしなやかさ!リズムの正確さ!それでいながらプレイ中に顔なんか掻いてみたりして余裕あり過ぎでしょ!笑 こういう方がいるんだねえ、ジャズには、そして関西には。天晴。流石だわ。





 右手前が麻井くん、左奥が大賀くん。


 当ブログきってのご贔屓ギタリスト、大賀好修さんも言っていたけど、ジャズやブルースはやっぱし関西が熱かったんだねえ。今もそうなのかも。ちなみに関係ないけど、私は大阪という場所には、何故かアメリカのような空気を感じる。勢いとか特に。だからジャズやブルースが似合うのかもね。



 竹田さんのギターを聞いていて思い出したのが、以前ジャズのおすすめ記事を書いた時には書けなかった、大好きな名盤、サックスプレイヤー、ポール・デズモンドのアルバム “Bossa Antigua” 。これはギタリストのジム・ホールが「フィーチャリング」されていて、結構2人は対等な位置で演奏している。今回のライブにも似た編成。




 このアルバム、いいんだよねえギターの音が!最初、人に貸してもらって聞いたのが真冬だったので冬のイメージでいつも聞いていたけど、これも春先に合うかも!と今回気づいた。おすすめアルバムです。

 ところで、ポール・デズモンドといってもピンとくる人は少ないかも。でも「テイクファイブ」作った人、と言ったら解るかな?






 セカンドステージのみ配信とはいえ1,500円という破格さ。配信ライブを絶やしてほしくないので、時間が許す限りは、気になったものは片っ端から聞いてみようと思っている。今回もそんな感じで気軽に見たのだが、延々と聞いていたくなるプレイの見事さに唸りっぱなしだった。


 全てスタンダードナンバーだったというのも良かった。こういうさあ、上質な音楽をこんなに気軽に楽しめるなんて贅沢極まりない。


 お花見を賑やかに行うことはできなくても、昼間、桜の樹の下ひとりで、イヤフォンでこんなライブを楽しんでもいいかもしれない。

 真ん中の写真は鈴木さんのTwitterより。


 …さ、さあ、今夜も見るぞ違う配信ライブを…(今週だけで4つある)。





文:見る聴く「Closer? いやいや近すぎでしょ!ー『村田陽一 Big Band アルバム “Crawling Forward” リリース記念』ライブ@Blues Alley Japan(配信にて)ー」





 地方の人間でも平日に東京のライブを見ることが出来るようになったのは、配信ライブがポピュラーになって1番の功績だと思うけど、さらにもうひとつ、配信ライブのお陰で、同じ日の同じ時間の別の場所のライブでさえも、時間差で見ることが出来るという、夢のようなことまで叶うようになった。


 今回私は、月曜の夜の、東京と大阪で行われたライブを、時間差で同日に見るというスーパースペシャルなことを試みた。こんなこと、物理的にカラダを運ぶとなったら絶対出来ないじゃない?折角の配信ライブなのだし、普通なら出来ないことをやってみたかった訳よ。




 村田陽一さんの名前は知っていたけど、まさかあんなに数多の音楽やミュージシャンに関わっていた方だとは思わず。ネットで調べて大驚愕よ。聴いたことない人いないんじゃないかな?この方の音楽を。ウィキの説明ではトロンボーン奏者、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーということになっており、ジャズ、クラシック、ポップスとそのジャンルは多岐に渡る。

 関わった人達の中で私的にツボだったところだけ書くと、


米米CLUB、オルケスタデラルス、デヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカー、ランディ・ブレッカー、マーカス・ミラー、井上陽水、ピチカートファイヴ、サザン、オリジナルラブ、Swing  Out Sister、渡辺貞夫、村上ポンタ秀一、吉田美奈子、ジョー・サンプル


 ポンタさんとはレーベル作ったりアルバム作ったりと、交流が深かったと知る。


 という訳で、とんでもなく幅が広く、とんでもなく実力のある方のビッグバンドのライブなのだと解り、これは見てみたいなと当日の昼過ぎにチケットを買った次第。

 そのチケットが3,500円で、配信にしちゃ高いなと思っていたらこれが何と、1st・2nd両ステージ分込みのお値段。まあなんと太っ腹。逆にお得極まりないというね。ブルーノートさんにもぜひやって頂きたい。





 そのビッグバンドのメンツが凄いんだ。2月に見たブルーノートオーケストラの時にも出ていた方が何人もいることに気づく。中でもお目当ては勿論マサトクンことサックスの本田雅人さん。4月にはマサトクンがメインのライブがブルーノートで行われ配信もされる。もうチケット買ってあるし笑。


 それともうひとり、同じくサックスだけど、こちらはバリトンサックスの山本拓夫さん。この方の名前に妙に覚えがあり、調べるとそれはもう出るわ出るわ。私が見たのはきっと、80年代後半のエピックソニー関係のミュージシャンのアルバム。特に美里、靖幸には欠かせない存在だったかもね。どちらにもよくブラスサウンドが使われていたし。勿論、ドラムの渡嘉敷祐一さんのお名前にも覚えが。超有名ドラマーのひとりだもんね。みんな昔聴いたアルバムに関わってくれていた方々。

 なもんで、配信が始まるのを心から楽しみに待った。



 いやあ、もう圧巻。

 ラテンフレイバーてんこ盛りのファンキージャズなビッグバンドサウンドは、聴き始めてすぐに踊りたくなるくらいご機嫌でパワフル。とはいえ、サウダージな感じのメロディも多々あり、少し切なくて、そのメリハリがなんとも気持ちよい。


 ソロが長いんだよね。普通なら数小節で終わるんだろうと思われる各楽器のソロパートが、ものすごく長いの。ひとりで大丈夫なのかな?って思うくらい長い笑。けどそこはもう全員が年季の入ったプロ中のプロなので、その長いソロこそが聴かせどころで、終わるともう拍手しか出てこない。


 特に、「日本のマイケル・ブレッカー」こと小池修さんのテナーのソロ!この方は、ブルーノートオーケストラでもお顔を見かけたのだが、どうやらものすっごい御仁らしく、どこで息継ぎしてんのかなってくらいの怒涛のソロがそらもう美しくて渋くて迫力が半端なくて。見た目は優しそうな普通のおじさまなのだけど、テナーサックス奏で出すとやばいよ、カッコよくて。


 怒涛のソロといえば勿論マサトクンのソロも素晴らしく流麗。流れるように美しいのにガツンとくるメロディラインに聞き惚れる。同じくタクオさんのバリトンサックスも、お腹にグッと響くめっちゃかっこいいソロだった。


 また聞き惚れるといえば、トロンボーンをハーモニカも持ち替えて演奏していた佐野聡さん。いやあ、あれは泣けるでしょ。いや、泣かせようとしてる風はないのよ、そういう、あけすけないやらしさは全然ないの。でも、その乾いた哀愁こそ泣けるんだと思うのよ。佐野さんのハーモニカ、素晴らしかったわ。1音1音がはっきりとしていて。ハーモニカで1音も濁らないのって凄くない?そして佐野さん、楽しいおじさまだった笑。





 全員が全員、本当に一流プレイヤーなのが、音を聞くだけで伝わってくる。そして配信の画面上には、まるでタコ部屋か?!と言いたくなるくらいにみっしりと全員が楽器と共に詰まったステージ笑。「導線がない」と村田さんも言っていたけど、ほんと、足の踏み場あるのかな?って感じだった。

 でもね、実はこの感じがとっても懐かしかった。

 今絶対こんな至近距離で人と触れ合ったり繋がったりすることってないじゃない?だから、沢山のプレイヤー達がみんなで集まっている姿を見るのがとても新鮮で、何だか逆に嬉しくなった。

 だけどそのプレイヤー達はちゃんと感染対策にも当たり前みたいに気を回していて、セカンドステージに上がって前を向くまでずっとマスクをしている方が多かった。これぞお手本。これぞ模範。


 「誰も話聞いていないんだもん〜!」なんていうセリフが飛び出したり、最後のメンバー紹介でトロンボーンの3人だけ忘れちゃったりと、始終リラックスした雰囲気の村田さんのMCと、ビシッと決まりまくるプレイとのギャップも楽しく、長い配信時間にもかかわらず何度も繰り返して見たくなるライブだった。4月3日かな?週末まで見られます。





 プレイヤーであっても、作曲ができて編曲ができて、プレイヤーとしてだけでなくそこにも他からのニーズがあるくらいの人なら、サポートミュージシャンとしてだけでなく、やはり自らがメインのひとりとして所属するフィールド=バンドが欲しくなるのが普通だと思う。


 またプレイヤーのみとしてであっても、様々な音楽が自在に奏でられるのであれば、やはりひとつのジャンルではなく、いろんな場所に自らを置いてみたいと思うのも、ごく当たり前のことであろう。


 Sensationというのは、そんな人達が集まったインストルメンタルバンドなんだと思う。村田さんが「このメンバーで集まって演るのはまた1年後くらいかな」と言っていたように、Sensationのメンバーも、そうそういつも顔を突き合わせている訳ではないけれど、大賀くんが配信ライブの時に言っていたみたいに、集まればいつでも「シュッとまとまる」そんな4人なのではないかと思っている。ジャズを演る、演れる人達ってのはきっとこういう感じなんだろう。

 まあ、Sensationのファンとしては、もうちょっと長い間4人で一緒にいてほしいわ、とは思うんだけどさ。


 写真は、最初の3枚は村田さんの公式Twitterより。



 で、この日梯子した鈴木央紹さんの配信ライブについては後の記事に続く予定。






文:見る聴く「テレビの前の(良い子の)みんなへースガシカオ 25th Anniversary Shikao & the Family Sugar Special Live@Billboard Live Tokyo(テレビ生中継)ー」




 海外ドラマフリークなので、多分人よりはテレビを見ている方だと思う。起きるとまず普通にニュースを見て、天気予報を見ると、朝ドラをスルーして海ドラチャンネルに行く。何かしら英語音声でかかっているので、そのまま見るともなしにかけっ放しにして、休みの日は家事をしたりストレッチをしたりする。チラ見してちょっといいなと思うと所々真剣に見る。そんな感じで好きになったドラマは結構ある。


 だから、シカオちゃんのビルボードライブ東京のライブをテレビで、しかも生中継すると聞いた時は本気で嬉しかった。もちろん地上波ではないが、CSチャンネルであったとしても嬉しいに変わりはなかった。


 テレビというのはほとんどの家庭にありながら一昔前に比べて市民権を失っていて、あるけど見ない、というのが大方のスタンスだと思う。でもそれじゃ勿体無いよね。考えたらずっと楽なのよ、テレビで見る方が。配信ライブを見るよりも。


 配信ライブ推進委員としては笑、配信ライブにはこれからもあり続けてほしいと思うんだけど、確かに配信は、ライブで見ていた場合途切れることがある。またはそうでなくても、雑音に悩まされたりすることがある。実際私は某ライブのナマ配信において、ひたすらジージーという雑音に悩まされ続けたことがある。まあ、翌日のアーカイブの時にはすっかり解消されていたんだけど。だから、配信はいまいち、という人の気持ちも解らなくはない。

 とはいえ、平日に仕事を休めない、または昨今の事情により会場に足を運べないという人のために、配信ライブは今後も続けてほしい訳よ。


 でもね、そんな問題を一気に解決できるのが、テレビの生中継なんだと、シカオちゃんの今回のライブを見てつくづく思った。

 もちろん、テレビで中継するにはそれ相当の条件があるとは思う。知名度や何らかの柵(しがらみ)など、さまざまに組み合わさっているのは解る。解るけど、もしもそこがクリアになるのなら、ミュージシャンの皆さんには是非ともトライして頂きたい。ただしWOWOWはもう相当やってるから、そこ以外で笑。


 いや、無論WOWOWが悪いのではないけど、もっと裾野が広がってもいいと思うんだよ。ライブ中継=WOWOWっていうんじゃなくて、もっと別の、例えば今回みたいにテレ朝系とか。当ブログご贔屓インストバンドSensationが全員出ているZARD関連だったら日テレだったじゃない?私の好みのものはないけど、フジテレビネクストでも時々やってるよ。そういう風に、どんどん、いろんな局が参入して、みんなで音楽を楽しめるプラットフォームが増えたらもっといいんじゃないかと思っている。


 大体、テレビだったら簡単に録画できるのよ。で、何度でも限りなく楽しめる訳よ。つまりすっごく「視聴者思い」。視聴者目線で考えたらこんなお得なことないんだよね。確かにスカパー入るのには多少ハードルあるけど、1度入っておくとあとは楽じゃないかな。アパートやマンションだとアンテナとか内蔵、というか最初から入っててくれてるところもあると思うし。ほんと、テレビでOAは金額的にも絶対お得だと思う。今回のシカオちゃんのライブももう何度繰り返して見てるか解らないよ、私。まあ、それはもちろん、内容がよかったからに他ならないんだけどね。






 あんなに大好きな曲ばかり聞けると思わなかったし、あんなにぶっ飛んだMCがライブで聴けるとも思わなかったwww いや、知ってはいたよ。トークが最高にヤバいってのは。昔、シカオちゃんのJ-WAVEのラジオのヘビーリスナーだったから。お菓子が当たって箱にサイン書いてもらったの、今でもとってあるもん。箱の方だけど。


 だけどさ、テレビ中継入ってて、これを見ているほぼ全員が録画してる訳じゃない?そんな中でも何の躊躇もなくいつも通りのトークをぶちかましてくる辺り、さすがシカオちゃん。そのサービス精神に感服。ほんと心から惚れ直す。


 「テレビの前のみんなも一緒に!」というシカオちゃんの一言、懐かしい感じがしたけど、これこそがテレビで見ることの醍醐味なんだろうなと思った。このニュアンスが解る世代はもう限られているのかもしれないけれど、「テレビの前のみんな」という言葉には何とも言えない一体感がある。配信ではなかなか得にくい感触だ。


 シカオちゃんはもしかしたら、配信というライブの形を余り好きではないのかもしれない。少し前に出た、一人ライブ(Hitori Sugar)の記録もDVD販売だったし。だけど、そんな中で、どうやったら一人でも多くの人に届けられるのか、模索してくれているとしたら、嬉しく思う。


 テレビは、シカオちゃんも言っていたように音もいいし、また同じ時間にみんなで楽しめているという感覚が配信よりももっとダイレクトに感じられる媒体である。だからシカオちゃんがMCで、「今日ビルボード東京に来てくれているみんなは、何倍もの倍率のチケットを勝ち抜いてここに辿り着いた特別な人達なんだ!」と言っても、テレビで見ている方は全然気にならないし、取り残された感は皆無、むしろ何故かこちらも一緒になって盛り上がってしまっている笑。

 まあそのMCはその後、「そんな特別なみんなを前に、俺は今から下品な歌を歌わなければなりません!」って続くんだけどさ大笑。

 この辺の感じが、シカオちゃんが歌だけでなくキャラ的にも人を惹きつけてやまない部分なんだよね。


 正直な人なんだろうと思う。絶対嘘つけない、というか、自分に嘘つけないというか。その分、不器用な人である面もあるのだろうと思う。だからこそ、事務所やめたりするんだろう(15周年目でやめたとのこと。だからそこから更に10年経ったってことなのよね。感慨深いなあ)。喧嘩したとか、トラブルがあったとかではなくて、きっと自分が納得行くか行かないかの瀬戸際のところで、最終的に「自分に正直に」というところで選んだ結果なんじゃないか。しかしながら、だからこそ私たちはシカオちゃんを信じることができて、シカオちゃんを聴き続けるんだと思う。シカオちゃんのサウンドが素晴らしいから、というだけではなく、シカオちゃんの生き様を応援したくて聞いているんだと思う。




 シカオちゃんの得意とする音楽=ファンクは、ただ明るくてノリノリで、というのではなくて、こう、コード進行や跳ね方次第でダークにも聞こえる不思議なサウンドである。

 心の奥に、普段は隠している、後ろ暗さや沈んだ不安や欲望や嫉妬といった、まるで膿のように溜まったネガティヴな感情を、これでもかってくらいぐいぐい押し出される気分。何というか、ちょっと荒っぽいデトックスをしているみたいな。だから、ちょっと痛いけど気持ちいいというさ。ほら、健康サンダルってあるじゃない?あれって時々めっちゃ痛いけど、一度履いたらやめられないんだよね。ファンクって何だかあんな感じ。


 間宮さんのギター、まさに「忍びの間宮」。でも私、ああいうギター好きだなあ。決して邪魔しないけど出るとこは出る。絶対必要とされるギター。シカオちゃんも言ってたけど、花形の存在だからこそ「前に出っ放しになる人が多い」ギタリストの中で、スッと姿を隠せるような人って少ないのかも。気がついたら後ろで鳴ってた、くらいの塩梅がいい時ってあるよね。




 突然ですがSensationです。左端が大賀くん、右端が車谷くん。


 ギターっていうと出さずにはいられない身体になってしまっているので出すけど笑、当ブログきってのご贔屓ギタリストであるSensationの大賀好修さん=大賀くんの場合、彼が信条としている「カッティング」は、まさにこの「気がついたら後ろで鳴ってた」音の系譜に入るんだと思う。印象的なイントロなんかでももちろん使われるんだけど(山下達郎さんの「Sparkle」とかさ。あと一瞬で終わるけど小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」のアタマね)、歌の後ろで鳴ってることも多くて、聞こえるとこう、期待感でワクワクするんだよね。


 シカオちゃんのバンドでもう一人明記したいのが、ジャズなんかでもたくさんセッションして叩いてくれている沼澤尚さん。唸るよねえ。この方のドラミング。狂いなくタイトなのにしっかり跳ねる。「あまい果実」みたいな歌にこれだけ「跳ね」を感じるって凄い。ドラムやシンバルの数がそれほど多くない辺りがSensationの車谷くんにちょっと似ている。(余談だが、もう一個驚いたのが沼澤さん、慶応の法学部だったのね。慶応の法学部卒の一流ドラマー。凄いわ色んな意味で。)


 不思議とシカオちゃんにはいやらしさを感じない。どんなに凄い言葉を使っていても(「トワイライト☆トワイライト」の中に突然出てくる「夢精」とか)どんなに凄いシチュエーションを歌っていても(「JOKER」なんて「◯病の歌」だって本人がはっきりライブで言ってるしね)どんなに本人がMCで「下品な歌」と明言していても(「イジメテミタイ」、SとかMとかがぐちゃぐちゃのヤツね。しかし凄い歌詞だよなあこれw「中指を曲げて」ってさあwww)、どれもシカオちゃんの声が歌うと、気持ち悪さやヌメっとした手触りがしない。むしろドライであり、乾いているからこそ、そこはかとない哀しみが歌の中に見え隠れする。シカオちゃんの声って、もう、それだけで全てだよね。ライブだとそれが心から解る。





 「夜明け前」「夕立ち」「Affair」「黄金の月」「ストーリー」「午後のパレード」、そしてアンコールの「あまい果実」、どれも大好き過ぎるくらいのナンバーで、特に「夕立ち」がまさか4曲目に聞けるとは思わなくて、テレビの前で叫んだくらいだ。

 「夕立ち」、こんなに好きな曲ないってくらい、シカオちゃんの曲の中では絶品。メロディもピカイチでカッコいい。またシカオちゃんの歌詞は全て好きだけど、この曲の歌詞の、何とも言えない気だるい「別れ一歩手前」の空気感が好きだ。


 「最後ここでProgress演ると思っただろう?!やんねーんだ今日は!」には爆笑した。いいなあこのツンデレぶり笑(デレがどこにあるのか解らないけどw)。アンコールラストの「このところちょっと」個人的にはこっちのが嬉しかったわ。


 ライブの楽しみ方に多様性が認められるようになった今だからこそ、テレビを見直すいい機会を貰ったと思う。それが大好きなミュージシャンの一人、シカオちゃんだったことがとても嬉しい。

 さて、視聴期限はないけれど、今日も見るかな。



 



文:考える「anyとallの間には、今日も冷たい雨が降るーF1ど素人の妻と英語嫌いな夫がF1レギュレーション変更について語り合ってみたー」



 この人が嫌いな訳ないと思うんだよねえ、車。と思っていました。

 当ブログご贔屓ギタリスト大賀好修さん。意味もなく写真を貼ってみる。



 昔から車には余り興味はなかった。免許を取ったのだって相当後になってからで、いまだにペーパードライバーである。

 とはいえ、私がこれまで生きて来たのは車が花形の時代。皆車が大好きだった。親友女子はディーラーも驚く程当時珍しかったMAZDAのMX-6に乗っていたし、もう一人の親友女子も自ら選んだスバルを転がす車好きだった。


 父は運転は全く好きではなかった癖に、勧められると弱いのと自らの誘惑に負け、ある日家族に黙ってトヨタのトレノを契約してきてしまうという無謀っぷりを発揮する人だった。家族がいるのになんでいつも扉が2個しかない車を買って来るんだろう。みんなのうちの車にはちゃんとドアが4つついているのに。2個の扉の車の方が安いのかなぁ…とまあそんなふうに思う程、私は当時から大の車音痴であった。


 そんな車音痴の私が結婚した相手は、遠方に住みながらその季節になると「鈴鹿」に泊りがけでレースを見に行く程の、大の車好きである。トレノがいかなる車であったのかも、結婚してから彼に教わったことのひとつだ。




 彼が見ている横で何となくF1を眺めるようになり、いつしかドライバーの名前が解るようになった。

 F1は、公式の場では話される言語が英語に統一されているため、聞いたり見たりしていると、英語の知識がおまけのように付いてくる。degradationやdebrisといった、普段は聞き慣れない単語も覚えた。そんなこともあって興味が少し持てたのかもしれない。

 とはいえ、エンジンがどうのとか、タイヤがどうのといったところは未知の領域だし、多分今後もよく解らないまま画面を眺めるのだと思う。


 そんな私達2人が先日、某有料チャンネルの「F1ニュース」の録画を見ながら話し合ったのがタイトルの件である。方や英語の知識はあるがF1のルールはからっきし、方やF1観戦歴数十年を誇るベテランだが英語は既に忘却の彼方。正反対の2人が互いの強みを活かして話し合った、これぞまさに「共同作業」だったかも知れない。

 以下が、その時の我が家の会話のドキュメントである。


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「ねえ、今のとこバックして」

「うん?」

「今のさ、allとanyの話してたでしょ。そこんとこもう一回聞きたい」

「うん」

「…」

「…」

「…」

「おかしいよ」

「何が」

「anyがallに変わったって別に何も変わらないんじゃないのかな」

「そうなの?」

「だってさ、allは『全部の』だし、anyは肯定文、あ、普通の文のことね、疑問とか否定じゃなくて、その肯定文で使えば、『いかなる』って意味だよ?どっちも言いたいことは同じでしょ?寧ろanyを使った時の方が強調されるニュアンスになるくらいだよ。これさあ、そもそも何が問題になってるの?」





「去年ね、最後のレースの時に、レギュレーションの中にanyで書いてあったから意味が曖昧になったってことで、今年はその部分がallに変わったんだよって話なんだ」

「(regulationはruleよりきちんとした規則、規定だったな)」

「去年のレースって、解る?」

「わかんない」

「ほら、これね。去年の最終レースの最後のところで、アクシデントがあったからセーフティーカーが出て暫く先頭を走ったのね。

 その時、まあ、簡単に描くとこんな風になってたんだ」





「セーフティーカーの後ろに1位のハミ、その後ろに…」

「うん、レースはサーキットを走るものだから、遅い車は『周回遅れ』って言って、本当は1周とかの差がついているんだけど、見た目はまるで2位にいるように見える。そういう時あるの、解るよね」

「うん」

「で、1位ハミと、本当の2位MAXの間に、実際は何位の車だったか覚えてないけど、とにかく周回遅れの車が挟まってたんだ。ここでは解りやすく2台挟まっていると仮定して書いてみたよ」

「なるほど。これだと見た目はまるでMAXが4位だけど、本当は2位なのね」

「そう。で、セーフティーカーが出ている間は誰も順番変えられない規則だからこのまま走るでしょ?暫くして、はい、アクシデントの処理が終わりました、はい、セーフティーカーが引っ込みます、そうするとレース再開です、ってことになる。その時が問題だったの」

「どんな」

「うーん、簡単に言うと、偉い審判の人、レースディレクターって言うんだけど、その人がね、『じゃあ、1位と2位の間にいる車だけ、1位の前に出て〜』って指示を出した訳だ。この絵の、2位の後ろにも、周回遅れがいるのにもかかわらず、間に挟まった2台だけに指示を出したんだよね」





「それの何が問題なの?」

「この時、2位のMAXはタイヤを履き替えたばかりで、めっちゃコンディションの整った状態だった。そこへ持ってきて、自分の後ろの車からは抜かされる心配がない状態で、前にいた周回遅れの2台が1位の車より前に出た訳だよ。そうなるとMAXと前にいる1位のハミの間はガラ空き。つまり…」

「MAXがそこでぶっちぎればハミを捉えられるって訳だ!」

「そう。で、実際捉えて、抜いて、そのまま1位になって…そこで去年のワールドチャンピオンになっちゃったという」

「え?!あの時そうだったの?!!」

「うん」


「で、それについて『おかしいだろ』って話がでて」

「何が?」

「同じ周回遅れの車なのに、どうして1位と2位の間にいた2台だけが前に出て、MAXの後ろにもいた周回遅れは出さなかったのかって。実際過去のレースでは、これに似たようなケースでは違う対応を取ってたらしいし。

 その時問題になったのが、今回のanyの話でね。審判は、レギュレーションにanyと書いてあったから、そう判断したって言ったんだよ。つまりanyが発端」

「なるほど。ねえ、話の元になってるレギュレーションが読みたい」

「は?!」

「ねえ、探して。原文を読まなきゃ何言ってるのかわかんないもん。さっきテレビでKさん言ってたじゃん、何章の何番に書いてあるって」

「…(ネットにて探すこと暫し)あ、あったこれだ。55章の13。これは新しくなった方だね」

「見せて」

「今LINEで送った」





If the clerk of the course considers it safe to do so, and the message “LAPPED CARS MAY NOW OVERTAKE” has been sent to all Competitors using the official messaging system, all cars that have been lapped by the leader will be required to pass the cars on the lead lap and the safety car. 


(コースクラークが安全と判断し、公式メッセージシステムにより全競技者に“LAPPED CARS MAY NOW OVERTAKE”(周回遅れの車は追い越しOK)のメッセージが送信された場合、周回遅れの車は全て、先頭車両及びセーフティーカーを追い越すことが求められる)※訳文はformula1-data.comに私が捕捉した





「この、allになったらどうなるかってのを描いたのがこの絵」

「ああ、周回遅れになってた全部の車が抜かせるってことね」

「うん」

「これのallが、元のレギュレーションではanyだったってこと?」

「そうじゃないかなあ」

「…ちょっと待ってよ。これがanyでもぶっちゃけ変わりないんじゃないの?」

「…え、そうなの???」


「anyを肯定文で使う時『いかなる』って意味になるのは言ったよね?で、更にanyが名詞を修飾する場合」

「名刺で就職?」

「名詞を修飾!その場合ね、通例は<any+単数名詞>で使うんだけど、一応、後ろに複数形が来る形も辞書で認められてはいるのよね。普通は


Any bed is better than none. (どんなベッドよりないよりまし)


なんだけど、大修館の「ジーニアス英和大辞典」では、


Our offer is that you can have any five items of clothing you like for $50.

(当店ではお好きな衣類どれでも5点を50ドルで提供しています)


They have pledged to fight any changes to the abortion laws.

(彼(女)らは妊娠中絶法のいかなる改正に対しても戦うことを誓った)


って例文が載ってるのよ(それにしても随分アバンギャルドな例文だな2つ目)」


「で、ええと?つまり?」

「つまり、レギュレーションの改正前のanyの文であっても、「いかなる」の意味になるはずなんだ。まあ、これがもしもif節で使われていたんなら話は別なんだけど」

「え?何どーいうこと?」」

「私が困った時に見る『バイブル』は、長い間ずっとこの2冊なんだけど、




そのうち右にある、江川先生の『英文法解説』にこう書いてあるよ」

「この本、すっごく古いね」

「二十歳の時に大学の授業で買わされたのよ」

「…そんな昔の本、よく取ってあるね」

「自分だって実家の押し入れに江川達也の『Be Free!』全巻まだあるって言ってたじゃん!」

「だめだよバラしちゃ!盗まれちゃうじゃん!」

「そんなモノ好きいないよ!」

「で?!何が書いてあるのこの古い本に」

「109ページのセクション77、SomeとAnyの項目見ると、こう書いてあるのよ。


<<参考>>

条件のif-節では、a)疑問の意味が含まれればanyを使い、b)単なる条件であればsomeでもanyでもよい。

  1. If you have any questions, ask him. (質問があれば、彼に聞きなさい)

(=Do you have any questions? If you do, ask him.)


  1. If you need some/any help, let me know. (手伝いが必要なら知らせてください)


「…つ、つまり?」

「レギュレーション見て。ほらこれ、if節はあるけど、anyが使われているのは主節、文の重きを置かれる方、でしょ?ということは『いかなる』の意味にしか取れないってことになるはずだよ。

 ちなみにこの本の次のページには、複数名詞につくanyの例文もあるし。


Any suggestions from the viewers will be welcome. 

(どんなことでも視聴者からの提案を歓迎します)


ね?だからこのレギュレーションのanyは最初からallの意味とほぼ同意って結論になると思う。だったら最初からallで書けって話だよね。そうすればもっとはっきりするしさ」

「なるほど…」





「でもさ、仮にこのanyをsomeと同じ意味と取ったとして、どうしてハミとMAXの間にいた車だけに適用するのかは解らないよね。何台かの車っていうだけで、特定はされてないんだし」

「うん」

「だったら寧ろallとほぼ同じ『いかなる』の意味で取って、全員を前に出すべきだったと思うけど」

「そうだよね。だからね、このディレクターは解任されちゃったんだよ」

「…ええええええええまじで」

「うん」

「もし、このレギュレーションを最初に書いた人がanyにしても、チェックする人が気がついて『はっきり書こうぜ』って言ってれば済む話だったのに…」

「まあね。でも、批判も出てね。で、解任」

「英文法、恐るべし」


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 いかがだったでしょうか?

 「書くんならちゃんと誰でもわかるように書くんだよ」と釘を刺されたので笑、一生懸命説明を入れたつもりですが。

 ちなみに途中に出てきた図は、「絵描いてよ」とリクエストしたら彼がエクセルで描いてくれたものです。「手描きだと描けなかったから」とのことだったんだけど、こっちのが大変じゃないのか?!

 本当にありがとう。でもバイト代は、払いません笑。





 どうしても大賀くんを貼りたいというねw


 たった1単語の解釈でクビになっちゃうんだもんねえ。もちろんそこには「故意に曲げて解釈した」という暗黙の抗議があったようだけど。

 F1は、何もかもを瞬時に判断して伝えなければならないスポーツなので、時にこのようなことが起こるのかもね。難しいよね。だからこそ面白いのかもしれないけどさ。

 今年のシーズンはどうなるんだろうね。楽しみだね。そして今年、鈴鹿は開催できるのかな。彼は行きたくて仕方ないみたいだけど。

 私だって行きたいものを我慢してるんだから、その気持ちはわかる。

 でも、願いが叶う日はいつかきっと来ると、私は信じている。





文:訳す「Sensationの大楠くんがインスタのストーリーで弾いてくれたVanessa Carltonの “A Thousand Miles”を訳してみた」



 手前の一番目立つのが今日の主人公、大楠雄蔵さん。


 Sensationの大楠くんがインスタのストーリーに自身のピアノの演奏をちょこっとずつ載せてくれるのに気づいたのは、昨年の秋、いや初冬だったか。


 最初に聞いたのはglobeの “Departure” だった。場所は何処かの室内だったと記憶している。TKの奏でるあの印象的なピアノのイントロを覚えている人は多いだろう。それを、大楠くんの優雅な指が奏でているのである。職場の休み時間にたまたま見つけて眠気が吹っ飛んだ。うわあ、なんて上手。いや、相手はプロなんだからこんなこと言う方が失礼なんだけど、でも本当によくTKのあの、優雅だけど少し緊張感のある音の雰囲気を醸し出していて、実に素晴らしかった。あれ以来、時々大楠くんが上げてくれるストーリーが楽しみで仕方がない。


 プロがさあ、街に置いてあるピアノで名曲を演奏してくれるなんて、こんな贅沢はないよねえ、と思うんだけど、それより、大楠くんはきっと、ピアノで演奏することとか、ピアノ自体が大好きなんじゃないかと勝手に思っている。そこにピアノがあれば、ピアノは自分を奏でてほしいと思っているというか、大楠くんにはきっとそんな、ピアノの声が聞こえるのかも知れない。ウイルスが蔓延る時代になって、駅のピアノを触る人の数もきっと減ったろう。ピアノだって寂しいはずだ。それをプロが弾いてくれるのである。ピアノも絶対嬉しいと思う。実際、大楠くんが街のピアノを弾くと、どのピアノもとても軽やかに優美に嬉しそうに音を出す。


 これまでに聞いたのは、このDepartureと、明石駅のピアノで弾いていたTM NETWORKの “GET WILD” (ドラムの鶴屋さんが録画した映像が鶴屋さんのTwitterに載っているので未見の方は是非。それにしてもこの場に居合わせた方、どんだけラッキーだって感じ。このご時世だからそんなに近くには寄れないと思うけど、私だったら絶対ガン見だなw)だったので、次は何かなーと思っていたら、まさかの洋楽大ヒットソング。ヴァネッサ・カールトンの “A Thousand Miles”。




 大賀くんと大楠くん。Y.O.コンビね。


 この曲が出たのは2002年で、この年はノラ・ジョーンズが大大大ヒットしたので、この曲の印象が強いという人はそれほどいないかも知れないが、J-WAVEなどラジオでは毎日のようにかかっていたので、当時ラジオ派だった人ならきっと知っていると思う。今聞いても素敵な、というか美しい、そして悲しい曲である。


 では詞を。


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Making my way downtown walking fast

Faces pass and I'm homebound

Staring blankly ahead just making my way

Making a way through the crowd


And I need you
And I miss you
And now I wonder

If I could fall into the sky
Do you think time would pass me by?
'Cause you know I'd walk a thousand miles
If I could just see you tonight

It's always times like these when I think of you
And I wonder if you ever think of me
'Cause everything's so wrong and I don't belong
Living in your precious memories

'Cause I need you
And I miss you
And now I wonder

If I could fall into the sky
Do you think time would pass me by?
'Cause you know I'd walk a thousand miles
If I could just see you tonight

And I, I don't want to let you know
I, I drown in your memory
I, I don't want to let this go
I, I don't

Making my way downtown walking fast
Faces pass and I'm home bound
Staring blankly ahead just making my way
Making a way through the crowd

And I still need you
And I still miss you
And now I wonder

If I could fall into the sky
Do you think time would pass us by?
'Cause you know I'd walk a thousand miles
If I could just see you

If I could fall into the sky
Do you think time would pass me by?
'Cause you know I'd walk a thousand miles
If I could just see you, if I could just hold you tonight


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 仮定法ってのはさあ、2年に一度は仕事で必ず、ガッツリと語らなくてはならない文法事項なんだけど、基本的には高校生になってからしっかり習うものなので(最近の中学生は「I wish+仮定法過去」を習うと聞いたのですが本当ですか⁈ 指導要領変わった⁈本気で驚いたが、そうは言ってもまあ、覚えて高校に来る子はまずいないと思うけど)実際には定着度が低い。

 けど、こんな曲で意味を教えたらきっと解って貰えるんじゃないだろうか。


 仮定法過去というのは「現在実現していない、またはしそうにないことについて言う時に使うもの」だから「~ならいいのになあ(でもそうじゃない)」というのが一番簡単にイメージできるかな。日常的に使ってるでしょ?こういう表現。


 「お砂糖を取ってくれませんか」という依頼の表現は、Can [Will] you pass me the sugar?だよね。でももしそれを目上の人や見知らぬ人、つまり自分との関係が「遠い」人にお願いする場合には、Can [Will] をCould [Would] に変えてCould [Would] you pass me the sugar?って言うよね。


 ここから、過去形には過去を表すだけじゃなくて、「距離感」を表す用法があることが解る。それを応用したのが仮定法で、現実には起こらない、起こりそうにないこと=現実の自分と距離のあることを言うのに、過去形を使っているというね。だから仮定法過去の過去形には、過去の意味はなくて、距離感を表しているだけだから、現在の時制で訳さないといけないんだ。

 とまあ、この辺はテキトーにスルーしてください笑。





 で、Vanessaの詞ですが。

 fall into the skyをそのまま訳しているサイトが実に多いのだが、「空から落ちる」ことはあっても「空の中に落ちる」は物理的にはおかしい。もちろんこれは歌の歌詞だから、これでも全然いいと思うんだけど。

 でも私はやっぱしそれでは納得いかなかったので笑、「空へと吸い込まれる」と解釈してみた。


 それと、大好きな本の一つ「英文翻訳術ー東大名誉教授と名作・モームの『大佐の奥方』を訳す」(行方昭夫著)の中で、翻訳の際には英文の中にある代名詞をできるだけ訳さない方が日本語らしくなる、とあったので、それを意識してみた。また、今回は大楠くんのピアノを聴いて訳したいと思ったので、男性が主人公の訳にしてみた。


 洋楽だと基本、主語が全部 “I” なので、一人称にやたらバリエーションがある日本語と違って色がついてない分、訳す時に自由度があっていいんだよねえ。これこそ他言語を訳す醍醐味だよ。


 belongは「あるべきところにいる」≒ be であり、drown (カタカナで書くのは嫌なのだが、あえて書くとこれは「ドロウン」じゃなくて「ドラウン」と読みます)は「溺れる」だけど、記憶の海に溺れる、なんて安っぽい気がしたのでこの辺は勝手にアレンジした。



 仕事に必要なスキルは「英文解釈の力」をつけさせることであって、「上手に翻訳する力」は受験には必要とはされない。こう言うと語弊があるかも知れないが、受験生に必要なのは、「自分はこんなにきちんと正確に英文の意味が理解できていますよ」というアピール力であり「こんなに流暢で美しい日本語に直せますよ」は余り意識しなくて良い(そうは言っても日本語としてアウトな和訳はもちろんアウトなんだけどね)。

 でも、そこを知っているからこそ、教える側の私は、いい翻訳もできたらダブルで嬉しいなあと思うのである。



 では、和訳。

 素敵なピアノをいつも聞かせてくれる大楠くんに、貰ってもらえなくても勝手に捧ぐ笑。


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都会の雑踏を早足で歩けば

見知らぬ顔が通り過ぎてく


ぼんやりとした目で

ただ歩くだけ

人混みを交わしながら


手を伸ばしたい

寂しくてたまらない

叶わない願い


この空に吸い込まれたら

時は経ってくれるだろうか

たとえ1000マイル歩いたっていい

その顔が見られるのなら


君を思うたびに時は止まる

そんなことはあるかい?

自分の体はここじゃなくて

思い出の中に生きてる


手を伸ばしたい

寂しくてたまらない

叶わない願い


この空に吸い込まれたら

時は経ってくれるだろうか

たとえ1000マイル歩いたっていい

その顔が見られるのなら


知らないままでいて

こんな僕のことを

忘れられない記憶

手放せない過去


都会の雑踏を早足で歩けば

見知らぬ顔が通り過ぎてく


ぼんやりとした目で

ただ歩くだけ

人混みを交わしながら


もっと手を伸ばしたい

余計に寂しくてたまらない

叶わない願い


この空に吸い込まれたら

時は経ってくれるだろうか

何千マイル歩いたっていい

その顔が見られるのなら


この腕に抱けるなら