相変わらず海外ドラマあるある。「群像劇」が好きだ。もちろん「エレメンタリー」=ホームズ&ワトソンのような「バディもの」にも同じくらい目がないのだが、少なくとも、主人公が一人で目立つ物語よりは、この2つの方に強く惹かれる。
だから例えば「007」でも、目はついついQとかMの方に寄って行ってしまう。新作の予告を見ると、Qも相変わらずいい感じだしMも代替わりして味にも変化が出て、それはそれでいいと思う。
で、群像劇。例えば「9-1-1 LA救命最前線」。
語れるほど事細かに見ている訳ではないのだが、作りが実に巧い。主人公は消防士と警察官だと思うんだけど、911の電話を受けるオペレーターに始まって、実際に911に通報した人、電話された人、そして駆けつける消防各員の描き方が全部秀逸。特に消防士全員の人生をしっかり描こうとするところが素晴らしい。
介護が必要な母親を引き取り葛藤を抱えながらも面倒を見るオペレーター、過去の事故のせいで心に傷を負った消防士、人種のせいで、性のせいで、家族のせいで上手くいかない消防士達。夫にありえない告白をされて戸惑う警察官。
妻、夫、娘、息子。元恋人の彼女に振り回される女性。家族同然の付き合いだった親友を失う男性。障がいのある息子を一人引き取る若い父親。元夫のDVの悪夢に未だ悩まされる元妻。
起きる事件も一筋縄では行かない。
父親に腹を立てた息子が、父自慢のビンテージカーに乗ったはいいがブレーキが効かず、時速200キロで高速をぶっ飛ばすのを無理やり止めようとしたり、インフルエンサーがインスタライブ中に顔のニキビを潰したら中からニュルッと何か生き物が出てきて通報したり、地震の後で下敷きになった同僚を助けんがために、彼の腕を家庭にあるアレでぶった斬ろうとしたり…。
話濃すぎて一度に書けないって感じで(笑)、見ていてちっとも飽きないし、どんどん深みにハマるのがわかる。現在シーズン4がFOXに上陸したばかり。お勧め。
群像劇が好きなのはドラマに限ったことではない。ライブを見ていてフロントよりつい脇に目が行くのは、多分そのせいなんだと思う。歌っているフロントマンやリードギターが素敵なのは当然として、その傍の方に目を遣ると、そこには、軽やかなカッティングを一身に背負っているギタリストがいる訳である。または下半身に響く音を奏でるベーシストがいる訳である。しかも時折楽しそうに笑ってたりする訳である。これに痺れない者はあるまい。バンドだからこその音の分厚さがそこにはあり、感動は何倍にもなって跳ね返ってくるのである。
え?特定の人物について言ってるだけだろうって?いやいや、そうじゃなくて、一般論として言ってる訳で。
勿論そこには特定の人物も含まれる、というか先頭に立ってるのは確かだけどさ。
好きすぎてKEIくんとかSensationの皆様まで入った写真を選んでしまったw
1番最後の写真好きすぎる。くつろぐ5人衆w
これは立派なひとつの「群像劇」なんじゃないかなと思ったのが、大好きなイギリスの番組 “The Great British Bake Off(ブリティッシュ・ベイクオフ)”と “The Great British Sewing Bee(ソーイング・ビー)”。
前者は現在FOXで(以前DlifeではOAがあった)シーズン7が始まったところ、後者は来週9月30日からEテレで最新エピソードが始まるところ。いやあ楽しみ。
ベイクなんかは様々なところで批判なり炎上なりあるようだけど、まあ、今言ったみたいに、一つの「群像劇」として楽しめたらそれでいいんじゃないのかなと私は思っている。
登場するのは司会者、プロの審査員2名、それぞれのアマチュア、何千人の応募の中から選ばれし10名前後で、10週に渡って1位が争われる(ビーは日本では30分番組になっているので20回OAされる)。ベイク、ビーともに、1回に3つの課題が出され、その総合で、その日のスターベイカーやトップが選ばれ、そして共に毎週1人ずつ脱落していく。
どっちに力を入れて見ているかと言えば、Dlifeからずっと見ているベイクの方なのでそちらを中心に書くが、これが実に楽しい。役者ではないアマチュア達が、時にポーカーフェイスで、時に感情を剥き出しにして、オーブンやミキサーや粉類や砂糖やチョコレートやフルーツや卵と大格闘を繰り広げながら作品を完成させ、ホッとしたのも束の間、厳しい審査をうけ(これがマジで厳しい(苦笑)。「全然風味がないですね」とか「生焼けだ」とか「これが君の作品?4時間も何をしていたんだい?」とか「私の好みではありませんね」とか、回を追うごとにもう容赦ない)、脱落を免れれば安堵はするものの、他の誰かのために涙し、また他の誰かの勝利に大いに喜び合う。
戸惑い、文句を言い、諦め、でも再起し、全力を尽くし、作品を形にしていく様は本当に見ていて飽きない。私が繰り返し何度も同じ番組を録画して見ているものだから、夫まで用語を覚えてしまい、先日彼が「このケーキのアイシングってさ」と言った時には耳を疑った(勿論意味はわかっていない。ただ言ってみたかっただけらしい)。
シーズン4から全部見ているが、私が1番印象深かったベイカーは、シーズン8に出演したソフィア。その見事なケーキと言ったら!彼女の手から生み出されたものは本当に全て美しく、見ているだけでため息が出た。あんなものどうやったら作れるのだろう。神業としか思えない。スティーヴンとマブダチになったみたいだったけど、その後オーロラ見に行ったのかしら?(笑)
さて。
この番組から一つ教わったことがある。
どんなに自分がいいと思っても、それが相手に望まれていないことなら、それはアウトだということ。
ベイクでしばしば見かけた光景が、審査員がデコラティブに作って欲しいケーキを、自分なりの解釈でシンプルに作り上げてしまうと、審査のハードルは当然上がり、そして大体うまく行かない、というもの。当然だがその逆もある。
無論、審査員が全て、とも限らない。例えば、抹茶やゆず、緑茶といったフレイバーは我々には非常に馴染み深く、口にすればきっとそれなりに美味しく感じられる。けれど、ベイクを見ている限りだと、これらのフレイバーで成功したベイカーは、特にシーズン7まででは見かけられない。8では審査員の1人が、メアリーからプルーに変わるので、どうだったかよく覚えていないが、多分、7までとは少し違ったような気もする。まあ、ベイカーの腕も回を追うごとに上がっているので、そのせいもあるだろうけど。
我々の好む前出のようなフレイバーについて、審査員2人は一様に、「ぼんやりした味だ」とか「風味が感じられない」と言う。これには様々な要因が考えられると思うし、一概に批判は出来ないが、審査員の好みではないことは確かだったろう。これらが好きで使ったベイカー達を、私は少し気の毒に思っている。
でも、いや、だから、なのだ。
自分がどれほど抹茶が好きでも、自分がどれほどシンプルなものが好きでも、自分がどれほど凝りに凝ったデザインのものが好きでも、審査員に見てもらい、審査される以上、そこに照準を合わせるしかない。
一見不条理だが、実はそうでもないのではないかと思っている。
相手に聞かれたことにストレートに答えること。求められたものをストレートに惜しみなく差し出すということは、実は意外に難しい。見栄も勿体付けもあるけれど、それ以上に、それはきっと、私たちには、エゴがあるから。
エゴだと思うんだよねえ。そういうのって。人間だから誰でもエゴはあるし、ない方がおかしいんだけど、でも、時にエゴは、いらないところで顔を出すものでさ。
そのエゴを消し、相手に求められたものを、求められたように差し出す。更に欲を言えば、それを上回るくらいのものを差し出せたら、これ以上素晴らしいことはない。
まあ、言うのは簡単だけど、いざ実生活とか職場ってことになったら、難しいんだけどね。エゴをなくすなんて。それでも、場合によっては、最優先すべきはやはり、自分ではなくて、相手なのだ。
そんなことを、ベイクオフから学んだ気がしている。
早くシーズン9が来ないかなあ。
大賀くん、そして徳ちゃんも、サポートメンバーとしてライブに参加する場合、その辺がきっとものすごくきちんと線引きされていて、忠実に相手(=まっちゃん)に求められたことを再現しているんだろうと思う。エゴなどなくして。だから信頼が厚いのだ。
それが出来てこそ、きっと、一流になり得るのだろうと思う。
彼らはプロのベイカーやプロのテイラーと同じだ。
まあ、お菓子もお洋服も作んないだろうけど(笑)。
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