文:読む「表があれば裏があるものー『一杯のおいしい紅茶』ジョージ・オーウェル(小野寺健編訳)」




「いつまで籠ってりゃ気が済むんだよ」と言われそうな程、出かけない日々が続いている。

職場と自宅を往復して3年。

(しかもこの2カ所は直線距離にすると200メートル強しか離れていない笑)

他に行ったとこはと言えば、銀行や美容院など、日常生活の域を出ない場所のみ。

食料品の買い物でさえ、全てネットスーパーに切り替えた。


単に元々「おうち好き」というのもある。

本を読んだりパズルをしたり、オルガンを弾いたりお人形ごっこをしたりして、家の中で遊ぶのが好きだったので、丈夫に育たないのではないかと案じた母から「いつまで中に籠ってるの!」と幼い頃(から結構大きくなるまで)よく叱られたものだ。


そんな私でも、今、自由さを心に持っている人を羨ましく思える時がある。


「あのね」

2つ上の連れ合いが物静かに言う。

「のど自慢、あるでしょ」

「うん」

「あれね、まだね、出演者さんとその身内の人しか、会場に入れないんだよ」

「え、観客入ってないの?」

「うん。出演者もね、いられる場所が決まっててね、ステージ上の円で囲まれた部分しか動いちゃダメなんだ」

「そうなの⁈」

「司会の人に抱きついたり握手してくださいとか、できないんだよ」


彼はいいとか悪いとかは言わない。提案もしない。

例示だけ。そして、あとは自分で考えろと放置する。


「今週末、オープンキャンパスなんです」

先週、彼女が発した言葉が頭を過ぎる。

「行っても大丈夫かなあ、と思ってて…」

1ヶ月前に行こうと決めた時には、こんな状況になるとは思ってないもんね。

「第1志望のとこだよね」

「そうです」

「電車で行くの?」

「はい」

「じゃあねえ」

しっかり準備して、なるべく外さないようにして、でもちゃんと水分は取って。矛盾だらけだけどそう言葉をかけるしかない。

「気をつけて、行ってきます」

「また来週、待ってるね」

「はい」

彼女は笑った。


若い人が、もっと自由に、せめてこんな、進路選択にかかわるような外出くらいは、気兼ねなく出来る日が来ますようにと願わずにはいられない。


そしてそういう時やっと「自分のことはとりあえずこっちに置いといて」と原点に帰ることができる。


(以下、当初の原稿にはなかった補足:

綺麗事を言ってるんじゃない。これが事実だから言ってる。こういう現実も知って貰いたかったから書いた。

他人に押し付けるつもりはない。偉ぶるつもりもない。ただ、華やかに戻りつつある日常の風景の中で、やっぱりナマは最高だとあらためて感じ始めている人々に紛れて、今でもこういう、ものすっごく地味でものすっごくストイックに過ごし続けている人間がいるってこともほんのちょっとだけでいいから覚えていて欲しかっただけだ。正しいとか間違ってるとかではない。正義はそれぞれに違う時があるということだ。)


さて。

心を笑顔にするには1冊の本がいい。

ジョージ・オーウェルといえば「動物農場」とか「1984」とかディストピア小説で有名だが、このエッセイはテイストがまるで違う。

イギリス作家のエッセイならサマセット・モームが好きだが、モームとはまた違った、土着の雰囲気と独特の温かみがある。まあユーモアはどちらも引けを取らないくらいだけどね。


編訳者の小野寺先生には、大昔、集中講義で教わったことがある。

内容など、ノートでも見直さない限りもう覚えてないけれど、とにかく面白い話で、全く眠くならなかったことだけは記憶に残っている。

レポートにもコメントを書いて下さって、とても嬉しかった。そういうことって覚えてるものだよね。


紅茶のこだわりが11か条もあるとは驚いた笑。

イギリス人らしいね。

そして、オーウェル曰く、ビールは「陶のマグ」で飲むのが断然美味いんだという。

ほう。

最近似たようなものを手に入れたので、今度これで飲んでみるか。


A good book will make my wings spread more.




※一度某SNSに投稿したのだが削除して、こちらに載せることにした。

やっぱしこういう、人の目にあまり触れぬ過疎の場所を作っておいてよかった笑。


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