♪TM NETWORK “How Do You Crash It TWO”
この冬は配信ライブを怒涛の如く見まくるため、「自宅フェス3150」と銘打って、数をこなしつつ思い切り楽しむという企画にしてみた。インスタのフォロワーさん達などご賛同頂いた方々にもそれぞれにご参加頂き、各々の自宅フェスを堪能している最中である。
で、TMの第2弾。配信は12月19日まで。
なんだろうなあこの透明感は、と、見直すたびに思っている。詞ももちろん透明度が高いのだが、メロディというか、世界観だな、その透明度がとにかく高い。
私は文章を書くのが好きで、こういった記事めいたものや小説めいたもの、詩や短歌など、思いつくままに雑多に記しているのだが、昔から、どろっとした内容のものを書くのであっても絶対にどろっとした手触りのまま書かない、というのがお決まりになっている。悪く言えばワンパターンである笑。が、どうしても強烈な「性」の匂いのするものをそのままは書く気がしないのだ。オブラートに包むというのではないが、こう、別にグサッと言わなくても通じるものは通じるのであって、それでいいんじゃないかと思っている。
そんなことと通じるのか、この歳になったからって別に年相応の熟年夫婦に似合う曲が聞きたい訳ではない。むしろ、このTMみたいに透明度の高い、年齢関係なく聞ける曲こそ聴きたくなるのである。
懐かしいナンバーが多いと思いきやそこはTKであるから当然、いい意味でのアレンジを施してくる。懐かしさを感じつつも、今の音というか。それがまた新鮮で嬉しくなる。ステージ上にはONEの時と同様、3人のみ。シンプルながらもゴージャスでスペイシーな雰囲気たっぷりの、なんだか宇宙船の中にいるようにも見えるセットで演奏は続く。
しばらく前に出た雑誌「サウンド&レコーディングマガジン」の中でTKは長いインタビューに答えていたのだが、いくつか印象深い言葉があった。引用してみる。
「近いところで、B'zやTHE ALFEEは、ほぼパーマネントのメンバーみたいな感じで必要な楽器のサポートが居る。TMに関しては、そこはデビュー当初の打ち出しから、ちゃんと打ち込んでいるから、ドラムがいなくても成立する…“シンセでやっています“と言っていたので。宇都宮君も木根君も、“今回は3人でいいじゃん“と僕が言っても、“え?今回はベース、ドラムは入れないの?“というハテナ感は1回もないですね」
「3人の姿をファンの皆さんに見てもらった方がいいんじゃないかという理論だったんです」
「せっかくなので、…僕の鍵盤とかハモってる木根さんが映っている方がいいよね、みたいなことを言いました。その意味では、本当に3人ぽっちでどうにかなるグループだと思いますね。一応、アコースティック・ギターとピアノがあればできないこともないので」
(アンプラグドTM NETWORKですね、というインタビュアーに対して)
「やれないこともない。何とかなりますね。ギリギリですけど、3人でどうにかなる」
天晴だと思った。さすがはTK。ファンが何を1番望んでいるのかちゃんと心得ているのが素晴らしい。ファンはもちろんだが、今回配信で初めて見るという人も、何が見たいかって言えば当然3人が見たいのだ。他のメンツ入れて派手にするとか豪華にするとかしなくていい。だって十分に3人で豪華なんだから。
ライブを見ると解るのだが、とても3人で出している音とは思えない重厚感に満ちている。もちろんそれはシンセサイザーに頼るところが大きいのは認めるが、木根さんのギターの音(特にアコギ)も効果的に聞こえるし、木根さんの弾いたエレピの音も本当によく響いていた。そんな時TKはというと、シンセの音を少し落とし気味にして、木根さんの奏でる音とウツの歌を見事に引き立てている。これだよ、このバランス。これが醍醐味なのよTMは。
セットリストが出ているので触れて話すが(ちなみに私はライブ見る前にセトリ見ちゃっても全然平気な人。絶対ムリって人もいるみたいだけど私は全く問題なし。推理小説、犯人知ってから読める人だからね爆笑。プロセスが大事だと思ってるから。結論よりも)、2曲目の“human system”には参ったね。いやあもう堪らなかった。一気に17に戻ってしまった。ラスト、木根ちゃん(もうさん付けなんてしてられない笑)とTKが目を合わせてタイミングを測るシーン。叫ばずにはいられない程の興奮だった。デジタルではない生身の人間がそこにいるからこその瞬間。涙が溢れたよ。
ほんと思うんだけど、TMに木根ちゃんがいてよかった。木根ちゃんがいるからこそ成り立ってんだよねこのバンドは。あのさ、もうさ、全てのバンドに木根ちゃんが必要なんじゃないかと思うんだけど!www 絶対うまく行くし絶対解散しないよ、木根ちゃんがいたら。する理由がないもの。
今回、「分断」がテーマだということだが、木根ちゃんがいたら分断はないな(そこじゃないからw)
また、”Here There and Everywhere”や”Come On Let’s Dance” 完全に高校生の頃の自分だった。カセットテープがそれこそ擦り切れる程聴いた曲達。大切な思い出であるけれど、今回のアップデートされた音で奏でられるとまた違った感動を覚えた。これって大事。今だからこそ出せる音がある、それをTKは心得てるし、今出すべき音も完全に把握してるんだと思う。
高校時代の私に言ってやりたい。あんたが夢中になってるミュージシャンは、すったもんだの末見事に2021年に返り咲くよ、と。
白とライトグレイで統一された衣装もとても美しく、やや歳を重ねた3人の姿を更に眩く映してくれていたと思う。TKの、ライトが当たると薄いピンク色に見える髪も、コンセプト上でもある(のだろうか?)地球人とは思えない雰囲気を上手に醸し出していた。そうそう、木根ちゃんのギター、あのアコースティックギターさ、めっちゃいい響き。華やかさと優しさが同居した音だと思った。
あえて前出の雑誌以外はメディア露出には出来る限り触れないで配信ライブのみ堪能したのだが、心から満足するライブだった。次回が最後になる筈だが、少し寂しい気さえする。
ところで、今回のTMに関してもう一つどうしても書いておきたいことがある。
SNSを見ると、当たり前だがファンは普通褒める訳であるが、中に、
「ウツの声にはエフェクターかけないで欲しかったなあ」
というのがあった。それに対して何人かが「そうですよね。ウツの生の声を聴きたいのに残念です」といった返事が来ており、大変興味深く拝見した。
何故興味深かったかというと、この「健全さ」こそ最近私が求めていたものだからである。
ファンは褒める。好きだから褒める。大好きという気持ちが溢れるから当然褒める。褒めるのが当たり前ってくらい褒める。
が、ファンだって人間である。毎日毎日アップデートして生きている訳である。だから、いくら大好きであっても、気に染まないことだって当然あるのである。
昔は良かったなんて言わないけれど、インターネットが出回る前はもっと自由だった気がする。好きだけど、ここはどうなの?ってなことをもっと闊達に話し合えた。そして、同意するのも反論するのもそれこそ自由で、最後には互いの意見に刺激される。そんな時代だった。
それが今はどう?
もしも何か1ミリでも貶したりしたら、とんでもないことになりそうな雰囲気、ない?
それって本当に愛かな?
他の意見を認めない、そんな排他的な考え、どうなの?
好きだからこそ、言える、それこそが大事なんじゃないの?
なのに今、某SNSでは、褒めが義務化しているような気さえするんだよね。
ここんとこ、実はずっとそんなことを思っていた。
長い間彼らが好きだからこそ、彼ら自身も、そしてファン同士も、いろんな意見を抱合できる、そんなバンドであって欲しいし、生意気言えば、そうあるべきなんだと思う。
仮にどんなに向こうが自信作と言っても、「いや、私には違う」と思ったらそう言っていいんだよ。私には合わない、があっていいと思う。もちろんそれを人に強要しちゃいけない訳だけど、でも同じように、「褒め」だって、強要するもんでもされるもんでもない。
褒めたらあかん、と言ってるのではない。褒めないといけない、みたいな雰囲気が不健全だと言いたいのだ。
そんなこと思ってるのって、私だけかも知れないけれど、でも解って欲しい。好きだから、大好きだからこそ、こんなことを考えるのだと。
ってなことを思ってた矢先に、このTMの配信に関してのこんな意見を見たのよ。だからとっても感動したし、いいなあって思った。ファンが健全ってことはミュージシャンも健全のはず。とても嬉しかった。そして、TMを好きでよかったと、心から思った次第である。
ウツとキネちゃんとTKの、3人がいれば大丈夫。ダブルじゃなくってトリプルで包むのよね(と、次回の予告をうっすらと入れてみるw)。
写真は公式Twitterより。
0 件のコメント:
コメントを投稿