多分この人に最初に惹かれた理由は、その「知的さ」だったんじゃないかと思う。人間は誰しも矛盾した面を持ち、知的なものに惹かれる一方では、その正反対のもの、例えば「野生味」とでも言おうか、そんなものにも同時に惹かれたりする訳だが、原点というのかな、最初に惹かれた方にはきっと、その先の人生においても、惹かれ続けるのかもしれない。
今回、TKのソロライブを配信で見て、つくづくそう思った。自分の原点を見せつけられたようで、しかしながらそれはとても心地よかった。
確か二十歳くらいの頃、TKの、横浜アリーナかなんかのライブが真冬にあって、その時なんと私はこともあろうに大風邪を引いてしまった。いつもながら母から大叱責を受け、行くことを諦めるよう強力に説得されたのだが、その時私はこれまたいつもながら、自分の損得しか考えずに、そしてまたどうしても行きたいという欲望を捨てきれず、全力で母に刃向かった。
するとその日はなぜか母が折れてくれ、私は行くことができた。今みたいにマスクをかけて、厚着をして、遠い遠い席からTKを見ていたら、いつの間にか喉の痛みが消えていた。無理をして母に逆らって出かけた先で症状が悪化しないどころか治って帰ってくることが出来たのは、後にも先にもあの時だけである。多分あれは、私の、TKへ憧れ続けた純粋な気持ちの賜物であったに違いないと思う。
まあ、母にはそれ以降も、心配も迷惑も随分かけたのだけど。
ビルボードライブ東京の、深いブルーのライトで照らし出されたステージは、TKの佇まいによく似合っていた。何台もの鍵盤とグランドピアノが置かれたステージに、会場を見渡せる斜め上の方から歩いて入ってくるTK。Twitterによるとサンローランらしい。白い少し大きなシャツに、可愛らしい短めのボルドーのスカーフをタイにして結んでいる。決して胸を開くこともなく、キュッと上までシャツのボタンを止めて。
一体どこまでこの人は美しいのだろう。これまで多少濁った色のついた幾重もの体験があったはずなのに、この人はどこも崩れていない。言ってみればTKも、自分の原点を忘れていない人なのかもしれない。
3日間2部構成、合計6ステージ分の最終ステージが配信された訳だが、「今日は配信で見ている人もいて…たくさんの人に見守られながら、やってます」という最初の挨拶。痺れたねえ。配信を「自分からは見えない」と捉えるのではなく、「みんなが僕を見ている」と考える。もちろん、生配信だったからこそこう言えるというのはあるかもしれないが、しかしながら、この発想が素敵だと思った。こういうところがTKがTKたる所以なんだよなあ。
テレビ番組(競馬らしいw)のために書かれた曲や、MISATOに書いた曲「きみに会えて」のカバーから始まり(これは泣けた)、「マドモアゼル・モーツァルト」へと。
所々に挟まれる耳馴染みのあるクラシックも、その場の雰囲気を盛り上げる。今だから当然声なんて出せない訳だけど、その静けさの中だからこそ、全てのハーモニーが引き立つのであることを、TKは十分承知しているかのようだった。
シンセサイザーなんだから当たり前だろうと言われそうだが、音の重厚さに驚く。どこまでも透明な音もあれば、例えば、当ブログでは毎度お馴染み我らがスーパーギタリスト大賀好修さん=大賀くんが言うところの、「ちょっとギラついた音」も多い。
(ほら、ベース弾いてる。上の写真はキーボードの大楠くんと一緒。)
TKは、昨年出た雑誌「Sound Recording」2021年12月号のインタビューにて、Memorymoogというシンセサイザーについて、こんなことを言っている。以下引用する。
「簡単に言えばギターに勝つことができるシンセ。ギタリストに“なかなかやるじゃん“と言わせることができるシンセですね。」
「絶対消えないでほしいですよね。僕はプログレッシブ・ロックから入っているので、あのころはHAMMONDオルガンとMOOG Minimoogだけがギターに張り合える楽器だった。キーボード・プレイヤーがどれだけギターに負けないようにするかに命懸けていたところもありましたね。そのDNAみたいなものは今でも受け継いでいる感じがする。」
つまり、TKは鍵盤プレイヤーな訳だけど、実はギタリスト的なスタンスも大いにあるのではないかと思う。TKは、まるでギターみたいな音を奏でる時がある。大賀くんがどこまでも美しいクリーントーンでギターを弾くことがあるように。
ははーん、そうなると、私は、鍵盤奏者が好きと言うよりは、やっぱしギタリストなのか。って今更かいwww
TKは昔、TMのライブの時も、ショルダーキーボードが好きだった(私もこれ見るの好きだったんだよなあ)。何台ものキーボードをガンガン鳴らして不協和音にするのも好きだった(多分これは今も好き。この辺りが、Sensationの大楠くんのような美メロをこよなく愛するタイプのキーボーディストとは違うところではないかと思う)。鍵盤プレイヤーなのにギタリストっぽさ、醸し出しているよね。
ちなみに大賀くんもキーボードを弾く。ベースも弾く。歌も歌う。
そしてファンは皆知っていることだが、TKも実は大賀くんと同じく、結構お喋りが好きである。
キャラとか中身、全然違うのに、どっか似てない?この2人笑。
TMの配信ライブの時のソロや、ボーカルものを交えながら、曲間に紹介を兼ねて少しずつ言葉を発するTK。その感じが全く昔と同じで嬉しい。
懐かしくてこれまた泣いてしまった“CAROL“の組曲(JUST ONE VICTORYのメロディが最後に流れた時は本気で号泣した)から、HIT FACTORYと銘打ったライブらしく、誰もが知っているTKのビッグヒットメドレーへと。
派手さを削いで、代わりに優美さが与えられた数々のヒット曲は、聞くものの耳へ新しい感動を運ぶ。個人的には、90年代、TKが爆発的に売れていた頃の曲には思い出はないのだけど(私はTM一択だったので)、それでも、時代を彩っていた数多のメロディは、記憶の底にあるかつての若さを疼かせるのには十分だった。
文学や芸術に惹かれた、今の原点であるあの頃の自分。アンコールで歌ってくれた新しい曲「女神」。TK、あなたは私に世の中の透明な美しさを教えてくれた最初の神だったのかもしれない。
3月には同じ場所でもう一度ライブが行われると決まったとのこと。見にきて欲しいです、と笑顔でぽそっと語るTK。この押し付けがましさの全くない、欲のないところこそまさにTKの真骨頂。がっついてないんだよねえ、この人は。もちろんあれだけのヒットメイカーなんだからそういうところだってある筈だけど、表に出さない。それは隠しているんじゃなくて、やっぱりスマート=知的だから、なんじゃないかと勝手に思っている。また、「その頃、少し落ち着いているといいね」と今の状況への危惧も表してくれるところも、自然でよかった。
来てきてきて〜!と無邪気にはしゃぐのもとっても魅力的だけど、こんな風に、ちょっとだけ引き気味に、「もし来られたら…ね」と言われる方に、実は人間弱いんじゃないかと思うんだけど、どうかしらね。
私はどちらにも惹かれる。ほら、人間は極端な方どっちもに惹かれるもんだからさ。
節操なし?ほっといて。
2月に配信になる、TM NETWORKの3回目のライブも楽しみである。
TKの写真は全て公式Twitter、大賀くんと大楠くんの写真はSensationのFBより。
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