文:創る『Minor Swing:3』(小説)





 あの日を境にしても俺への姉ちゃんの態度は勿論変わらず、朝階下に行くといつもの笑顔で

「おはよう」

 と声をかける。夜は夜でアイスを一緒に食べたりするが、音楽やテレビのとりとめのない話に終始するだけだった。あの男とその後どうなのか、知りたいけれど聞けない。身勝手な俺は取り残された気分だ。

 予備校ではペンケースの彼女はあれ以来決まって俺の前に座った。悪い気はしなかったが、物理的距離が近い程逆にとんでもなく高く厚い壁がある様で、少し寂しい気もした。

 夏休みも後半に差し掛かろうというその日はテストが行われる事になっていた。だが前日に珍しく勉強したのがいけなかったのか、うっかり筆記具を忘れてきてしまった。こんな日に限って。バッグをガサガサ探していると

「あの」

 と前の席から声がする。ペンケースだった。どこにでも売っていそうなシャーペンと消しゴムを俺の目の前に置いて彼女は

「良かったら」

 と言った。

「え」

「使って下さい」

 俯き加減に彼女は続け、頭を下げ気味にぴょこんと向き直った。

「ありがとう」

 小声で言う俺に彼女は半身だけひねらせて返事をした。分厚い壁が少し崩れた気がした。

 試験終了後、俺はすぐ彼女に話しかけた。

「どうもありがとう」

 彼女は遠慮がちに首を縦に振ると、俺の手から筆記用具を受け取り、それをペンケースにしまった。そして

「じゃあ」

 とだけ言って、足早に教室を出て行ってしまった。俺が試験の間中考えていた何百通りもの魅力ある台詞も聞かずに。頭の中ではどんなキワドい妄想でも出来る癖に、現実の女の子の前じゃ口ひとつ満足にきけやしない。俺は自分に舌打ちしながら彼女を見送った。

 不完全燃焼のまま家に戻るとコトハ姉ちゃんが帰っていた。

「珍しいね。どうしたの」

「午後休み貰ったの」

 居間で雑誌を読む姉ちゃんの方を見ずに

「出かけるの?」

 と俺は尋ねた。

「そのつもりだったんだけどね」

 姉ちゃんは慌てる素振りもなくのんびりと答える。そして急に顔を上げると

「ねえ」

 と呼びかけた。

「今夜ドライブに行こうか」

「え」

「ね、行こうよ。決まり。夕飯食べたら支度して」

 姉ちゃんはそう言うとさっさと部屋に戻って行った。庭を見ると、咲き誇るヒマワリの傍を気の早い赤とんぼがそよぎ始めている。




 コトハ姉ちゃんの車に乗り込んだのは8時を回った頃だった。途中のコンビニでペットボトルのお茶を買う。何だか遠足気分だ。薄暗闇を裂いて滑る姉ちゃんの赤い車。国道を折れて山道を幾つか曲がると、小奇麗なホテルの広い駐車場に止まった。

「どう? キレイでしょ、ここからの夜景」

 車から身を乗り出して見ると、無数の光がキラキラと瞬いている。

「全国の夜景百選にも選ばれたみたいね」

 家々の光、ビルの光、慈愛の光、欲望の光。開いた窓から流れ込む夜風が気持ちよかった。

「姉ちゃん」

「何?」

「その後どうなの」

「何が」

「こないだのオトコ」

 自分でも不思議な程自然に問いかけていた。

「本当は今日、あいつと約束してたんじゃないの」

 すると姉ちゃんは夜空を見ながら笑った。

「残念ね。そうだったら良かったけど。あの人はあれ以来、会いたいとは言うけど、会いに行くとは言わないわ」

 ハンドルから手を離した姉ちゃんはぐうっと大きく伸びをした。

「私、ネットに日記を載せているのね」

 知っているとも言えないから黙ったまま言葉を待つ。

「だから人の日記を読ませて貰う事も多いんだけど、ある時思ったの。ネットの日記に本当の姿や本音を書くヤツなんて、いないんじゃないかって」

 姉ちゃんは一拍置いた。

「例えば、朝起きたら昨夜出会った男が横に寝ていたなんて載ってたとしても多分嘘。書いた本人は結構平凡で、刺激的な毎日を送りたがってるOLとか主婦だったりするのよ。本当にそんな事があったら、ネットの日記に気安く書けないと思う。他にも、今日はお洒落なカフェでランチしたってブログに載せてる人は、もしかしたら家では特売のインスタントラーメン食べてるかも知れないし、東京まで家具を買いに行く様子を載せる一見カッコいい独身貴族には、案外本当の友達が一人もいなかったり。みんな装っているだけ。生活や現実と向き合いたくないから、自分の中のちょっと見栄えのいい部分だけを取り出して、上手く紡いでるのよ。別にそれが悪い訳じゃないけど」

 唐突な話に戸惑った。でも姉ちゃんの言いたい事は何となく解る気がした。

「どうしてそんな風に思ったの」

 姉ちゃんはペットボトルのお茶を飲んだ。喉元で鳴ったささやかな音が姉ちゃんのTシャツの胸元を通過する。

「自分は寂しがり屋だとか甘えさせて欲しいとか、売り込んで自己紹介に書く人がいるけど、本当に寂しくて誰かに甘えたり頼ったりしたいと思ってる人間は、そんな事絶対言えないものだから」

 姉ちゃんは唇に残った液体を手の甲で拭った。




「そういうバーチャルな世界が何だかバカバカしくなって、もうやめようって思った時、音楽の話題でヒロキさんと繋がったの。それからは沢山の言葉を交わしたわ。プライベートな事もね」

 姉ちゃんは微笑んだ。

「ヒロキさんとはパソコンの中でも、互いに本当の自分でいられるってずっと信じてた。だから会いたいと思ったし、リアルな私も知って貰いたかったの。だけど」

 姉ちゃんは俺を見た。

「それは私の勘違いで、彼も自分を見栄えよく飾り立てていたかっただけなのかもね」

 カップルを乗せた隣の車のカーステレオから古い洋楽が流れている。

「考えたら、毎日ネットでは言葉を交わすのに、私、彼から一度も電話を貰った事がないの。こっちからした事はあるんだけど、二度とも留守電だった。出会ってるのに、声が聞きたくならないなんておかしいでしょ?それで思ったの。彼は私に、自分の本当の姿を知られたくないのかなって。不思議な事じゃないわ。華やかな虚像を自分の真実だと思わせたい人は多いし」

 姉ちゃんは自分で自分の肩を抱いた。

「彼は、人と心をぶつけ合う様な付き合いはしたくないのかも知れない。はぐらかしながら上っ面だけで生きる方が楽だもんね。その代わり、私程度に付き合う女は何人も作ってさ」

 今度は俺が姉ちゃんを見た。

「ヒロキさん、私と同じ様に、ネットで知り合った他の女とも会ってるんだって。皮肉だけど、それも彼の日記で解ったのよ。彼は彼女達の事を友達だとか特別じゃないとかって言うけど、それだったら私だって同じ存在なのよ。漸く気づいた。全く、つくづく見る目がないわよね」

 姉ちゃんの横顔を照らす満月を過ぎた月が、すっ呆けた顔で俺を眺めている。

「やめろよそんな男。好きになる価値ないし、そういう奴は誰とも誠実な関係なんか結べない」

 腹の底から悔しかった。自分の浅さが。あの時どうして一瞬でもあいつをいい奴だなんて思ったのか。やがて姉ちゃんは

「そうね」

 と頷いた。

「ちゃんと私に向き合ってくれる人でなきゃね」

「そう、俺みたいに」

 姉ちゃんは笑った。そしてまた俺を見て

「ありがとう」

 と言った。

 あのさ、仕事してても、スッピンでアイス食べても、ネットの日記に俺の事書いても、初めて会った男とキスしても、それ全部でコトハ姉ちゃんなんだよ。少なくとも姉ちゃんには、バーチャルもリアルも本当も嘘もないから。そう思ったが口には出さなかった。

「もうちょっと飛ばす?」

 姉ちゃんが言った。

「いいよ」

「じゃあ高速へ乗ろう」

 コトハ姉ちゃんは笑顔で威勢よく言うと、愛車のエンジンを思い切り吹かした。




 

 ペンケースの彼女に会えたのは週明けだった。いつもの様に俺の前に座り、静かにテキストを開く。もうすっかり見慣れた風景だが、実は彼女に会えるのもあと数日だ。夏休みが終わったら、絶対に永遠に彼女とは会えない。そう思ったら何だか堪らなくなってきた。そんなんでいいのか。いい訳ない。午前中の講義が終わった後、俺はおどおどしながら彼女に声を掛けた。

「あの、こないだは、どうもありがとう」

「あ、いえ」

 意外だったのか、彼女は微かに驚いている。

「今日ってもう終わり?」

「はい」

「迷惑でなかったら、何かおごらせて」

「え、悪いです」

「そんな事言わないで。あの、嫌だったらいいんだ。いいんだけど、でももし、嫌じゃなかったら」

 聞きながら情けなくなった。会話力ゼロ。走って逃げたいくらいだ。しかし、彼女は恥ずかしそうに俯いて

「それじゃ、あの、近くに駄菓子屋さんがあるんですけど、そこで、一緒にアイスでも食べませんか」

 と言った。

「え、あ、うん」

 しどろもどろで返事をし、半歩先を行く彼女の後を追う様にしてふわふわと歩き出した。彼女の髪から漂ってくる、柔らかい気体。表では剥き出しの太陽がニヤニヤとこちらを見下ろしている。

 予備校を出て裏へ回る。二軒程先に小さな駄菓子屋があった。店先から中に入ると、埃っぽくて懐かしい、ワクワクする匂いがした。小さい時弟とこういう所によく来たのを覚えている。彼女がアイスボックスのガラスの蓋を開けた。どれにしようか迷う顔は小さな子供みたいだ。奥に陣取るおばあさんに代金を渡して、俺達は店先のベンチでアイスを食べた。木ベラのスプーンでアイスを掬う彼女がやたら透き通って見える。

「こんな店、よく知ってるね」

「ここ、学校の近くなんです」

「もしかして、K女子高」

「はい」

 予想通り、エリートなお嬢さん学校。

「頭いいんだ」

「私、帰国子女なんです。それで入れただけで」

「そんな事ないよ。凄いよ」

「全然。私、恥ずかしいけど、現代文が全く出来ないんです。ウザいとかキモいとか。最初意味が解らなかった」

 俺は吹き出した。

「それ、教科書載ってないから」

 釣られて彼女も笑った。

「あの」

 何か思い出した様に彼女はスプーンの動きを止めた。

「ひとつ聞いてもいいですか」

「なに」

「下の名前、何て読むんですか」

「え、何で俺の名前知ってるの?」

「後ろから答案を集める時に見て、それで…」

 そしてハッとした様に

「スイマセン、黙って見ました」

 と言って頭を下げた。

「そんな。気にしないで。あのね、勇馬って書いて、ハヤマって読むんだ」

「ハヤマ」

 彼女は俺の名前をリピートして

「キレイな名前」

 と付け加えた。

「そうかな。初めて言われた」

「キレイです。それに、漢字って凄いですね。いろんな読み方があって、いろんな名前があって」

 彼女は顔中で笑った。可愛いと思った。

 肩には黒い薄手のカーディガンがかけられ、両腕が余計に細く見えた。ピンクと白のキャミソールを重ねた胸元や首は牛乳みたいに真っ白だ。左の鎖骨に小さなほくろがあった。ほんの少し手を伸ばせば届く距離。だけど、俺はまだそこに触れるだけの術を何も知らない。あの男がコトハ姉ちゃんにした様な、互いの五感を根底から震わす様な術を。今すぐにそれを知りたいとも思う。でも、今すぐじゃなくてもいい様な、そんな気もする。

「あの」

「あ、ごめん、何」

「私の名前は、言わなくていいんですか」

 女の子にこんな事言わせるなんて。気が効かないにも程がある。我ながら痛すぎ。何やってんだ、俺。

「ゴメン。あの、教えてくれる?」

 彼女は白い歯で笑い、最後のスプーンの一口を掬った。

 日差しの滴を身体中で感じ、俺は残ったアイスモナカを喉の奥へ一気に流し込む。

 甘いだけの17の夏が口一杯に広がった。

 






初出:「月刊マイタウン」2014年

加筆・修正:2021年7月



最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。











文:創る『Minor Swing : 2』(小説)




 

 数日が過ぎた週末の夜、またアイスを持って姉ちゃんが部屋に入ってきた。

「ハヤマ君、明日予定ある?」

 口数の少ない様子がいつもと違う。

「ないけど」

 すると姉ちゃんは俯いたまま

「ちょっと付き合って貰えないかな」

 と言った。

「どっか行くの」

「うん、まあ」

 俺と姉ちゃんの沈黙の隙間を生温い夜風が埋める。

「別にいいけど」

「ありがとう。じゃ、お休み」

 姉ちゃんは食べ終えたバーをゴミ箱に捨てて出て行った。すぐ後に俺のバーを放ると、微かに食い違い重なる事もなく側面に引っ掛かってぺたりと張り付いた。

 ネット上でしか会話した事のない男と会う約束をしたのだと解ったのは、翌日車に乗って暫くしてからだった。例のSNSの男だと大方予想出来た。

「四ヶ月前に知り合って、趣味が同じで気が合って、何でも話せて、本人の写真見たらいい人そうでイケメンだった。そういう事?」

「うん」

 そんなヤツ、フツーいないだろ。

「頭冷やすべきじゃない?」

 ほの紅い姉ちゃんの横顔に、つい意地悪を言ってしまう。

「これでも随分考えたつもり」

「それでも会うって事は、やっぱり全然考えてないんじゃん」

「手厳しいな」

 姉ちゃんは苦笑いを浮かべた。

「危なくないって言ったら嘘だものね」

「それで俺についてきて欲しかったんでしょ」

「そう。少し怖かった」

 姉ちゃんは下を向いた。薄手の白いカーディガンと裾がひらひらしたスカート。初めて会う男のために選んだ洋服。

「解った。俺が見定めてやるよ」

 姉ちゃんはくすっと笑った。

「何」

「だって急に逞しくなるから」

「それは」

 何か言おうと思ったが墓穴を掘りそうでやめた。

「ありがとう」

「別に」

 俺はそっぽを向いた。






 駅に着いたのは昼過ぎだった。

「ドコのヒト」

「トウキョウ」

 姉ちゃんは少しだけ遠い目をした。お盆休みで、それで会おうという話になったらしい。東京から特急で会いに来る男。特別の様でもあるし、普通の事の様にも思えるが、姉ちゃんは十分嬉しそうだった。

 乗客の波が改札を流れてくる。つま先立ちで飛沫をかわすコトハ姉ちゃんの視線が一点に定まった。

「アレなの?」

 姉ちゃんは黙っている。背の高い男は改札を出ると足取りを緩めて腕時計を見た。姉ちゃんの黒いサンダルが意を決して前に出る。俺はそれに続いた。

 携帯でメールを打とうとしている男に姉ちゃんは

「あの」

 と話しかけた。振り向いた男は姉ちゃんを見て、飛び上がらんばかりに驚いた。姉ちゃんは思わず吹き出した。

「良かったわ。違ったらどうしようかと思った」

 姉ちゃんは笑いながら言う。男ははにかんだ様に姉ちゃんを見た。そして「はじめまして、コトハさん」

 と姉ちゃんの名前を呼んだ。掠れ気味のスモーキーな声。

「はじめまして、ヒロキさん」

 今まで見た事のない程ヨソイキな姉ちゃんだった。男は40前だというから二人ともいい年なのに、挨拶のレベルは中一の英語の教科書だ。

「彼がイトコの?」

 男は俺を見た。

「そう」

「日記に書いてたね」

 こないだ俺が黙って読んだ、あれの事だろう。

「はじめまして」

 男は俺に頭を下げた。

「どうも」

 慌てて俺も頭を下げた。そして男を見遣った。笑うと目が細くなり、男前がちょっと崩れて人懐こくなる。185センチのTシャツから漂う爽やかな男臭さ。

「長い乗車で疲れたでしょう。何か食べに行きませんか」

「そうだね」

男は姉ちゃんの提案に快く応じた。俺はその様子を眺めて、

「姉ちゃん、俺行くね」

 と言った。

「え? どうして」

 俺は姉ちゃんの腕を引っ張り声を潜めた。

「そんなに野暮じゃないから」

「でも」

「いい人そうじゃん、あの人。家には一緒に帰るから、後で電話して」

 姉ちゃんは目を丸くして俺を見ていた。そして急に

「ありがとう」

 と言って俺の手を握った。子供の頃俺の手をしっかり繋いでくれた筈の姉ちゃんの手が、今は何故かヤケに細くて頼りない。

「あの、俺行きます」

 男に向かって俺は言った。

「コトハ姉ちゃんを、宜しくお願いします」

 俺は男の目をじっと見た。

「うん、解った」

 男は頷いた。姉ちゃんを一瞥し、振り返らずに改札口を後にする。カッコつけすぎだったかな。俺は一気にコンコースを走った。




 

 中古書店やCDショップでのありきたりな時間潰しに飽きて、俺は気紛れで映画館に立ち寄った。夏限定のリバイバル上映だという。「サイダーハウス・ルール」か。

 孤児院で育った主人公が、外の世界を見たいと願い、そこを離れる。初めての海、初めての恋。完璧に美しい女優のハダカの後姿が、真珠の微笑みで主人公と俺を誘うけれど、彼女には婚約者がいて、その婚約者が戦争から負傷して帰ってきて、束の間の融けあう交歓の後、主人公の恋はジ・エンド。元いた孤児院に新たなる自分の居場所を見つけて帰っていく。

 結局振られたけど、初めて好きになった女と激しく愛し合えたなんて羨ましい。俺にはまだマグマを燃やすべき相手すらいない。

 映画館を出るとコトハ姉ちゃんからメールが届いた。7時に駐車場で。了解。ファストフードで食事をし、それでも時間を持て余した俺は駐車場へと向かった。1時間位なら待ってもいい。姉ちゃんが車を止めたのはお城と呼ばれる公園の近くだった。熱っぽさが残る夕暮れの中に赤い車が見える。俺はそこを通り過ぎ公園へ入った。石段を登りてっぺんまで行くと、街を一望する事ができた筈だ。

 上で風景を堪能して暫く経ってからだった。突然、姉ちゃんと男の話し声に気付いた。俺からは二人がハイビジョンなのだが、緑の茂る樹が邪魔してこちらの事は見えないらしい。

 街を眺めるコトハちゃんの背中を、男が後ろから抱きしめている。姉ちゃんは抵抗していなかった。むしろ男に寄り添っていた。この数時間の会話と気持ちとが読める気がした。男が姉ちゃんの髪に唇で触れる。姉ちゃんは俯いたまま振り返った。姉ちゃんの頬に男がおずおずと指を掛けた。大きな手のひらが姉ちゃんの顔を引き寄せる。瞼を閉じているコトハ姉ちゃんをじっと見つめ、男はゆっくりと唇を合わせた。位置を変え、深さを変え、角度を変える。長い真空。姉ちゃんの眉が苦しそうに訴える。すると男は余計腕に力を込め、姉ちゃんの身体の曲線へ自分を嵌め込むみたいにぎゅっと抱き寄せた。申し合わせた様に重なるパズルのピース。

 姉ちゃんが漸く唇をずらし、何か呟くとフフフとくぐもった笑い声を立て、男の胸にぽすんと顔を埋めた。男が姉ちゃんの耳に何か囁いた。え? と姉ちゃんが顔を上げると、男は再び姉ちゃんの唇を奪った。姉ちゃんの白い歯の裏を男の舌が長く這う。遠慮がちだったコトハ姉ちゃんの仕草が次第に大胆になり、男の背中に腕を回すと細い指で切なげにシャツを掴んだ。数時間前に俺の手を暖かく握った両手が、今は違う男の衣服を捉えて離さない。男は更に姉ちゃんを求めて首筋に口づける。途切れた唇の間から漏れる姉ちゃんの吐息が、男の耳朶に止まるのが見えた。




 ダメだ。もう限界だ。俺は息を殺して物陰から移動すると反対側の石段から速攻で駆け下りた。バカ野郎。どうして最後まで見届けないんだ。何言ってる、いられる訳がない。二人の俺が言い合いをする。はあはあと上がる息を抑え、小銭を探って自販機でジュースを出した。わざと炭酸飲料を選んで乱暴に開ける。喉に流し込むとジュワッという刺激が、これでもかという程胸を撃った。不純、純愛、愛情、情欲。しりとり単語が浮かんで消える。

 やがて通りをうろつく俺の携帯が振動した。姉ちゃんからだった。俺は出来るだけ平常心を保ちながら、足早に駐車場へ向かった。既に車の前に立っているコトハ姉ちゃんは服にも髪にも顔にも全く乱れがない。

「ゴメン、遅くなって。ヒロキさんを駅まで送ってきたの」

 姉ちゃんは車のキーを差し込んだ。

「楽しかった?」

「うん。とても」

 姉ちゃんのサンダルの細いヒールが少し傷付いて見えたが、何故か尋ねる気にはなれなかった。

 その夜、ベッドの上で記憶を反芻した。見つめ、囁き、嗅ぎ、触れ、味わう。知覚動詞をフルに使わなきゃ本気で誰かを知る事は出来ない。はあ、と呆けた瞬間、携帯がとがめる様に喧しく鳴り響いた。『兄ちゃん元気にしてますか』バカ弟、このタイミングでつまんないメール寄越すな。『僕は今ちょっとツライ。勉強ヤル気が起きない』普段強気の弟の、泣き顔の眉毛が浮かぶ。勉強なんてやる気になる方がおかしいんだって。全く世話が焼ける。薄暗がりの液晶の中には、一人前に兄貴面した俺がいる。すぐ返信して携帯を閉じた。知覚動詞の話は眠りの彼方へと押しやられた。

 









*Part 3へ続く


初出:「月刊マイタウン」2014年

加筆・修正:2021年7月










文:創る『Minor Swing:1』(小説)





 夏休みの間、親戚の家に寝泊りして予備校の夏期講習へ通う事になった。期末試験後の三者懇談の結果からだった。「お前ももう少し頑張ってみたらどうだ、ハヤマ」満面の笑みでヤル気を出す親父。まあ仕方ない。中三の弟は県下でもトップクラスの高校を狙っていた。根性のある弟を持つと兄も苦労する。

 それでも、違う家族と生活するというのはなかなか魅力的な響きだった。これといった趣味もない普通科帰宅部の高校二年の日常は欠伸も出ない程平凡で、何か刺激がないと白髪でも生えそうな気配だった。それに、父の姉に当たる伯母家族には娘が一人いた。娘と言っても彼女が17の時俺が生まれているから、今や丁度二倍。記憶の中のその人が幾らまだ可愛いお姉さんでも、34なら多少は「オバサン」な訳で、だから彼女が今どんな風になっているのか、少し興味もあった。

 終業式の翌日、早速伯母の家へ向かった。久し振りに訪れる色に満ちた駅ビルを抜けて南口へ出ると、鉄板が落ちてきたみたいな暑さと共に「ハヤマ君」と呼ぶ声が降ってきた。目を細める。

「解る?」

 短めの髪に緩いパーマがかかったその人は親しげに話しかけた。

「コトハ姉ちゃん?」

「そうよ。変わり果てて解らなかったなんて言わないでね」

 姉ちゃんは顰め面をして俺を睨む真似をした。

 確かに姉ちゃんは昔とは違っていた。でもどう見ても三十前にしか思えなかった。いや、三十というのがどんなものなのか良く知らないので、正確には何とも言えないが、とにかく、予想以上にずっと若くて、俺は困った。

「冷たいものでも飲む?」

 淡いグリーンが姉ちゃんの瞼の上を軽く縁取っている。

「ううん、大丈夫」

「そう。じゃあウチに行こうか。明日からよね、予備校」

 そうだった。現実的な言葉で我に返り、ずり落ちそうになっているバッグを肩にかけ直した。

 駐車場で赤いコンパクトカーに乗る。途端に姉ちゃんの匂いが助手席を包んだ。香水の様な、化粧品の様な、ちょっと甘いけど微かに鋭い、吸い込まれそうな匂い。

「クーラーつけるね」

「あ、いい、大丈夫」

 咄嗟に目を逸らし窓を全開にした。

「そう? よかった。私もクーラーは嫌いなの」

 車は気持ちいい加速をつけ、風と鼓動を巻き込みながら、俺と姉ちゃんとを揺らして走る。




 見覚えのある路地を曲がり家に着くと、伯母さんが出迎えてくれた。

「すっかり大人になっちゃって」

 以前より若干皺が増えてる気もするが、明るい声が同じで何だか嬉しかった。

「二階の、コトハの隣の部屋を使ってね。ちょっと狭いけど、その分自由にして」

「ありがとうございます」

「あら、敬語なんて使わないでよ。暫く一緒に過ごすんだもの、堅苦しい事は抜きよ」

 伯母さんは笑った。

 二階へ行く。小奇麗でさっぱりした部屋に、レースと水色のカーテンが二重にかかっていた。小さな机とハンガーラック、目覚まし時計に簡易ベッド。フローリングにひんやり横になると、午後の乾いた風が網戸を抜けカーテンを撫で、俺にまで手を伸ばしてくる。

 流行色のキャミソールの裏では超合金のブラジャーが頑丈にガードしているにせよ、コトハ姉ちゃんの薄い皮膚を上下する息遣いは、夏の光を弾き飛ばして俺を刺した。

 寝転がったまま腕を伸ばしてカーテンの裾を掴む。白くありふれたレース模様が、見た事もない筈の姉ちゃんの下着と重なった。





 予備校は歩いて数分の所にあった。講義開始十分前の朝、顔見知りのいない、同い年ばかりが集う空間にはざらついた違和感がある。俺はさり気なく移動しながら空席を探した。

「あ」

 小さい声。かしゃんと落ちる音。振り返ると、後ろの足元にペンケースが落ちている。俺のバッグがぶつかり、滑り落ちたらしい。

「すいません」

 声にならないような声でそう言い、俺はそれを拾った。目を合わさず頷く色白の彼女は少し笑顔を作った様に見えた。細い腕。斜め前がぽつんと空いているのに気付く。俺はそこに座った。

 軽くオリエンテーションが済むとすぐに古典の時間だった。予備校に住み着いてしまった様な容貌の先生が、高めの教壇から説明を始める。とうとうと流れる声には柔らかく、自信に満ち溢れていた。ここが高校ではない事をあらためて悟る。

 滴る炎天下に打たれながら家に戻ると、伯母さんがそうめんを茹でてくれていた。南瓜の天ぷらは衣が薄く、サクサクとして本当に美味しい。昨夜夕飯の時伯父さんに

「爽快な食いっぷりだなあ」

 と笑われたが、伯母さんの料理は一つ一つがとても丁寧に感じられた。

「コトハももう少し料理をしてくれないと困るのだけどね」

 伯母さんが俺に麦茶を注いでくれる。

「しないの」

「するにはするんだけど、とても結婚できるレベルじゃないわ」

「結婚するの?」

 俺の素っ頓狂な声に伯母さんは笑った。

「嫌ねえハヤマ君。して貰わないと困るじゃない。英会話学校の事務兼助手なんて仕事も中途半端だし。一人娘だからって、お婿さんを貰おうって考えはうちにはないのよ。なのに縁遠いというか」

 十七の俺がヘラヘラ笑って誤魔化すべきところでもなさそうな気がして、黙って麦茶を啜った。

 夜、部屋で課題をしていると姉ちゃんが入ってきた。

「ハヤマ君、アイス食べない?」

 風呂上りらしくメンズと思しき特大のTシャツから伸びた腕が長い。

「コトハ姉ちゃんって身長いくつ」

 アイスを受け取りながら俺は聞いた。

「166」

「それって大きいよね」

「同年代ではね。ハヤマ君は?」

「179」

「へえ、今の高校生っていいカラダしてるのね」

 姉ちゃんはガサリとアイスの袋を引き裂くと、円柱形のバーへ無防備に吸い付き口一杯にアイスを頬張った。そして一瞬眉間を寄せると、

「ううん、冷たい!」

 と言って丸い唇を離した。

「行儀悪いってお母さんに怒られるんだけど、これが気持ちいいのよね」

 化粧をしてない姉ちゃんの顔には、ポニーテールだった頃の面影がまだ十分にあった。

「伯母さんが心配してたよ」

「何を」

「結婚しないのかって」

「ハヤマ君にまで言ったの?」

 姉ちゃんは少し恥ずかしげに、少し呆れ気味に笑った。

「私だって行きたいけど、相手がいないのよ」

「誰も?」

「とも言えないけど」

「じゃあいるの?」

「とも言いにくい」

 俺は些かムッと来た。

「怒らないでよ。本当なんだから」

 姉ちゃんは俺の頭を撫でた。完全に子供扱いだ。シャンプーの匂いに身体が火照る。俺はますますムッとした顔しか出来なくなって、仕方なくアイスをがむしゃらに頬張る事に専念した。




 

 翌日は早目に予備校へ行った。端の席に座ると窓際に流れる朝の風がヤケに眠気を誘う。暫くすると昨日のペンケースが入ってきた。控えめな足音でこちらへ近付き、俺の前に座った。跳ね上げ式の椅子がささやかにギイと鳴って、彼女の軽さを簡単に支える。切り揃えられた髪の終わりから滑らかな項が覗いていた。ぶつけたりしたら折れそうな首が肩まで続き、心もとない幅を作っている。それを降りて行く二の腕の線は、冷房を避けるためのカーディガンにするりと覆われていた。

 午前の部が終わって昼休みになる。今日は午後もあるため昼食持ちで来ていた。伯母さんが作ってくれたおにぎりを持って休憩室へと向かう。ペットボトルのお茶を自販機で出しているとペンケースが入ってきた。目を合わすとも合わさずともといった調子で、同じ様に隣の自販機からお茶を出している。そして俺が座ったテーブルの斜め向かいのテーブルに自分のバッグを置いた。

 俺は彼女をチラチラと観察した。冷たい感じではないが、とっつき易いイメージでもない。共学じゃ余り見かけないタイプだから、この近所にある女子高の生徒かもしれない。箸の持ち方がキレイだ。携帯には幾つかのストラップが付いている。その携帯が振動してメールの着信を伝える。画面を開く彼女を横目で見ながら、俺は休憩室を後にした。

 予備校からの帰り、携帯音楽プレイヤーのバッテリーが切れた事に気付いた。メモリー型なので充電にはパソコンが要る。家に戻って尋ねると伯母さんは

「コトハの部屋にあるわよ」

 と言った。

「じゃあ帰ってきたら借りるね」

「遠慮しなくていいわよ。必要ならどんどん使って」

 伯母さんはさばさばと言った。

 コトハ姉ちゃんの部屋へ入ると、溜まった空気が姉ちゃんの香りで塞がっている。窓を開けた。乾いた風が入り込んで、古い映画のポスターやカレンダーをかしかしと揺らした。パソコンの電源を入れる。お洒落な画面が現れた。左脇にあるアイコンは少なく、部屋のインテリアと同じ位シンプルだ。端子を繋ぐ。上手く接続出来たみたいだ。突然、ペンケースの彼女の背中が頭に浮かぶ。Tシャツの上からブラのストラップが薄く写っていた。妙に脆く見えた。姉ちゃんのと違って。

 時間を持て余した俺はインターネットに接続してみた。高速。左に履歴欄。今朝既にパソコンが開かれているのが解る。クリックを繰り返していると、異質な位のフレンドリーさが目立つ画面が現れた。幾つかの写真とニックネームっぽい名前と、日記などと書かれた部分。ああ、これがあのSNS―ソーシャル・ネットワーキング・サービス―ってヤツか。前にテレビで見た事がある。元々は出会い系サイトから発展したらしいが、今は日記を書いたり他人の日記にコメントしたりと、ブログの延長上にある交流手段らしい。ヘルプ欄を開く。利用対象18歳以上。俺は部外者。コミュニティというのがあって、ネットでのクラブ活動みたいなものらしい。へえ、コトハ姉ちゃん、こんな事してんだ。

 姉ちゃんの繋がりは十二人。女性の方が多そうだ。数日前の姉ちゃんの日記を開いた。『今日はイトコの高校生がうちに来た』俺の事だ。『夏休みの間予備校に通うんだそうだ。17歳。羨ましい。私にもこんな時期があったんだ』こそばゆい心地よさが身体に灯る。

 調子付いた俺は姉ちゃんのクラブ活動も拝見する事にした。映画や音楽、車に美容、英会話関連の題目が並ぶ中に、抽象的な名前のものがあった。ちょっと躊躇ったが、好奇心に勝てず姉ちゃんに成りすまして門を叩いた。クリックして現れた画面を見る。部員は姉ちゃんともう一人だけ。内容の説明は英文で、やはり抽象的な事が書いてあり、俺の覚束ない能力では何の事だか理解できなかった。

 俺はもう一人の奴を凝視した。載っているのは顔写真ではないが、何故かピンと来た。男だ。姉ちゃんが言ってた、付き合っている奴がいるともいないとも言えないって、こいつの事か。呼吸がこめかみに上ってくる。

 鼻先をくすぐる湿度に気付いて、窓の方を向いた。夕立色した鉛の空。ヤバい。俺は充電不十分の端末を引っこ抜き、画面を元に戻して窓を閉め、慌てて部屋を出た。




 夕飯を終えてコトハ姉ちゃんが部屋に戻る時、俺は一緒に階段を上りながら

「姉ちゃん、今日伯母さんに言って、パソコン使わせて貰ったから」

 と言った。姉ちゃんは一瞬戸惑った様に

「え」

 と言ったが、すぐに

「いいわよ。いつでも使って」

 と続けた。

「ネットで変なページ見てたんじゃないでしょうね」

「変なページって」

「アダルトサイト」

「見てないから」

 姉ちゃんは笑いながら部屋に入った。

 俺の中の34歳像とは一万光年位かけ離れているコトハ姉ちゃん。あのバーチャル男とあそこでどんな話してるんだ。姉ちゃんの部屋から漏れ聞こえる渋いジャズのマイナーコードが、空洞な俺の身体にこだました。



***Part 2へ続く。



初出:「月刊マイタウン」2014年

加筆・修正:2021年7月


 






文:創る for ROOM OHGA “Invitation”(虚構大学シリーズ)






(虚構大学・妄想学群キャンパス内、生協前にて)


 「それ、興味ある?」

「え?」

 昼休み、混み合う生協前。声をかけられて振り返ると、見知らぬ学生がこちらを見て立っていた。背が高くて細い。ニコッと笑った白いジーンズが初夏を思わせる出立ちだ。

「さっきからずっと見てるから。その黄色のポスター」

「あ…ええ、面白そうだなって」

「1年生?」

「ううん、2年」

 聞かれるのも無理はない。入部希望者募集、なんて書いてあるポスターを見ているのは大抵は新入生のはずだ。

「何か部活とか、サークルとかしてる?」

「別に、今は何も」





 答えを曖昧にぼかした。実はやめようかと思っている矢先だった。今いるサークルには1年在籍していて、その間、誰かが誰かとくっついたり離れたり、まあおおよそ大学生らしいことをしている、といったところだが、私にはそれは煩わしいだけだった。

 それだけではない。まさか自分がその当事者になるなんて。冗談じゃない、と叫ぼうかと思った矢先、なんと昨年のクリスマス、実家暮らしの私のところに、真っ赤なバラの花束が届いてしまったのだ。親はもちろん、私だって驚いた。どう考えても自分に似つかわしくない花束を見つめながら、付き合ってもいない先輩から、どうしてこんなものが届くのかと困惑するばかりだった。

 一応お礼は言わないと、と母に諭され、翌日先輩に会った。

 先輩には以前からずっと、私ではない好きな人がいた。有名だったから私も知っていた。それが、彼女に振られて、そして、先輩曰く、「気づいたら、キミがいたんだよね。」

 じゃあ、それまでの私って何?彼女に振られなかったら、見向きもされなかったってことじゃないの?そう思ったら、既に9割がた閉じられていた心の扉に、完全にシャッターが下されてしまった。

 先輩はその後1時間半ほどかけて私を説得しにかかったが、私は動かなかった。

 誤解があるといけないので言うと、先輩が悪いという訳ではなかった。私はもっと、自由でいたい。そういう、誰が好きとか誰と付き合いたいとかいうのは、もう少し後でいい。今はもっと、違うことに気持ちを向けたい。そう、自分のこととか。今年20歳になるというのにおかしいかもしれないが、そういう気分だった。





 だからこれを機に、サークルを辞めてしまおうと思いながらも、ズルズルと新学期を迎えてしまっていたという訳である。正直、やめると言いに行くのも面倒だ、という感じであった。

「音楽は好き?」

 彼は私の思惑など気にもしないで、明るく尋ねた。

「ええ、大好き。自分で歌ったり演奏したりはしないけど、ライブに行くのは好き」

「じゃあ絶対楽しいと思うよ、ここ」

 彼が見上げたポスターを私ももう一度見つめた。レモンイエローの色味が眩しい。

「これって、1年生が作ったサークルなのね。前に聞いたわ。なんか凄いギタリストが入ったらしいって」

「噂になってるの?」

「うん。同じ科の、バンドやってる男子が騒いでた。彼はベーシストで、科のみんなをライブに誘うようなノリのいい人で…ってあれ?これってもしかして…」

「そう、俺」

 今頃気づくなんてどれだけ鈍いのか。私は目の前の彼と同一人物のポスターの写真の人物を見比べた。

「…凄いじゃない」

「そうかな…へへ」

 彼は少しだけ恥ずかしそうに目を伏せて笑った。





「ここでは、どんなことしてるの?」

「色々だけど…メインはね、俺が作った音楽を聴いてもらうんだ。全部新しい曲だよ。このサークルのためのね。ギターで演奏したりしながら、どうやって作るのかとか、どんなふうに音を重ねていくのかとか、話しながら聞いてもらってる。時々、マニアックな話もするけど、それはそれで楽しいと思うからさ」

 目を輝かせて彼は話す。きっとこんな人柄なら、たくさんの学生が入部しているに違いない。生協前は昼休みが終わりに近づくにつれ段々と人波が薄れて行き、私と彼との間には十分に呼吸をする程度の隙間がようやく空いた。

「作曲とか編曲に詳しいのね」

「うん。あとは、雑談もするし、ギターの弾き方の話もする。初級の人向けにもね。こないだは、サークル用のポストカードも作って、入ってくれた人みんなに配ったりした」

「へえ。会員証みたいなもの?」

「そうかも。ふふ」





「なんか、めちゃくちゃ特別感あるね。ひとつのサークル活動というより、毎回が学園祭みたい。どのくらいの頻度で集まってるの?」

「時間も曜日もまちまちだけど、一応週2を守ってる。ツキイチで必ず長い時間取って集まったりね」

「バイトとか授業で来られない子はどうするの?」

「ネット上にアーカイブを残しているから、欠席の子のフォローだけじゃなくて、誰でも復習出来るようにしてる」

「至れり尽くせりなのね。でもさ、そんなにサービス精神旺盛で、大丈夫?疲れない?君にだって、毎日やることがあるでしょう?」

「うん、あるけどさ、でも、俺がしたくて始めたことだから。忙しくても、楽しいんだ」

 彼は笑った。何か温かいものが心に灯るような気がした。

「みんな、君のプレイが好きってことね」

「だといいな」

「あ、ううん、そうじゃないわね」

「え?」

「言い直すわ。みんな、君が好きなのよ」

 彼を見た。きれいな目をしている。水が流れているみたいな瞳。

 同時に思った。私には、何かあるんだろうか。したくてしていることって。楽しくて仕方がないことって。





「…それで?」

「え?」

「君はどうする?入る?よかったら、今持ってるけど、入部希望届」

 彼はバッグからA4の紙を取り出した。筆記用具を出そうとするので、大丈夫と言って、自分のペンケースを探した。

 いいのかな、今、入って。

 もう一度ポスターを見た。

 そうね。こういうのを、チャンスって言うのかも。

 彼の活動に乗っかってるうちに、私にも、自分が本当にしたいことが、見つかるかもしれない。こんなエナジーを持ってる人なら、話聞いているだけで楽しそう。楽器なんて出来ないし、カラオケもそんなに好きじゃない。でも、この人と一緒にいたら、今まで知らなかった自分に出会えるかもしれない。

 ボールペンを引っ張り出して用紙を貰い受けた。この手でギターを弾くのか。

「…じゃあ、ええと、何て書けばいいの?サークル名」

「ROOM  OHGAって書いて。全部大文字だよ」

 この人、大賀くんって言うのか。ローマ字を綴りながら思った。







 Instagram内の大賀さんのクローズドコミュニティROOM  OHGAにて、情報の解禁がご本人からアナウンスになりました。

 自身から「どんなことをしているのか、SNSなどで書いてくれていいですよ」ってことでしたので、規定に抵触しない程度に(笑)、ご紹介を兼ねてこんな文章を書き、もっとずっと短くしてインスタに載せたのですが、なかなか見に来て頂けないので、どうせならと思ってこちらにExtended  Versionとして掲載しました。

 大人のサークル活動、楽しいですよ。

 1枚目の写真は、大賀さんからROOMMATES宛に送られてきた直筆サイン入りのカードです。これも載せていいよってことでしたので、加工して掲載しました。


 私は、彼がみんなに愛されるのが嬉しいです。

 自分が好きな人は、みんなに好かれた方が、嬉しいでしょう?

 だから。

 ね、大賀さん。