文:読む「私の中の、束の間の夏ー『魂の声 英詩を楽しむ』亀井俊介著ー」(英詩・原文和訳あり)

 




 この『魂の声』という本は、新聞で知った。亀井先生の名は知っていたけれど、アメリカ文学が専門ということもあり、ちゃんと読んだことはなかったが、英詩と聞いたら読まずにはいられず、その場でAmazonに注文して翌日を待った。

 学生時代はイギリス詩、それもJohn Donneで論文を書こうとしていたため(しただけじゃなくてちゃんと書いたよw)、アメリカ詩には余り唆られるものがなかった。今でも正直、ホイットマンの詩を読んでもピンと来ない。代わりに、やはりシェリーの詩なんか読むと、若かりし頃と変わらない感慨深さがある。ブレイクの『虎』とかも結構好きだった。


 亀井先生も言うように、その作家の人生とか背景とかと作品を絡ませるのではなく、やはりその作品自体を味わいたいという姿勢は私も同じ、なんて言ったら烏滸がましすぎるんだけど、でも昔から変わらない。いわゆる「テキスト論」ってやつだと思うんだけど、私が学生の頃はこれが主流で、もちろん自分が論文を書こうと思う作家のことは知らないといけないから調べたりするんだけど、そこに縛られることなく、作品、つまりテクストは、それが読者の手に渡った瞬間から作家から離れるという感覚で読むべきであるという、そんな考え方に基づいてどの詩も読み進めると、余計に幅が広がって楽しいのではないかと今でも思う。こういう人生を歩んだからこういう作品を書くんですよ、なんてのは、その作家の可能性も制限してしまうような気がするってのは、逆にもう古い考え方のかな。でも実際そうじゃない?だって人間には想像力があるんだからさ。

 だから『虎』も、その宗教性とかそういうことは全然抜きにして、一頭の動物に対しての審美眼とか、洞察力とか、そういうことを味わった方が、私は楽しいと思う。


 で、今回初めて知った詩人が、アメリカのエドナ・セント・ヴァンサント・ミレーである。どうやら巷ではこの方、フェミニズムの先駆者的な扱いになってるとかいう話だけど、個人的にはそういうことは全然抜きで、挙げられた詩を読んだのだが、これが実にいい。むちゃくちゃいい。もう、私くらいの年代になるとこれが身に沁みて沁みて沁みまくり(苦笑)。亀井先生の訳も素晴らしいし、先生の訳なしには私も訳し様がなかったのだけれど、あえてこの年代の人間にしか解らないであろう哀愁と諦念と感慨を持って(笑)、下手の横好きで訳してみた。作品の味わいを変えないように、なるべく余計な言葉を省いたつもりだが、それでも解りにくいところは少しだけ足したり、或いは原文の語順を、品詞の取り方を工夫し少し変えたりして、日本語として成り立ちやすくしてみた、つもりである。


 春じゃないんだよね、恋は。特に激しい恋はさ。夏なんだよね。真夏の、あの焼けつくような激しさがなけりゃ、ダメなんだろうね。雷雨も台風も40℃越えも何でもありの夏。それ程に求め、それ程に求められたけれど、もう顔も覚えてない。互いの形が身体に刻まれるくらい離れられなかったのに、声の断片すら記憶にない。でも、それこそが、恋なんだろう。恋は燃え尽きるもの。刹那だから、切ない。


 いやあ、英詩を自分で訳すなんて久しぶりすぎて感動した(笑)。仕事で英文を訳すことは日常的にやっているけれど、詩を訳すのはもう全然感度が違うし、その分楽しくて楽しくて仕方がなかった。昔、論文のためにDonneを訳している時にはその難解さも手伝って楽しいなんて思えなかったのだが(ちゃんと意味が解ると楽しいんだけどねw)、今ほんの少しだけ余裕が出来たせいか、趣味の一環として楽しめたのかも知れない。それっていいことよね?人生の長さ考えたらさ。


 本は、好きなところだけ拾い読みしていて、まだ全部読み終えた訳ではないが、大事に読ませて頂こうと思う。英詩の本なんてもうそれだけで嬉しい。

 古典だけでなく、思わず訳してみたくなるような詩まで載っている、レンジの広い本だと思う。詩が好きという私のような珍しい人、必読(笑)。



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What lips my lips have kissed, and where, and why,

I have forgotten, and what arms have lain

Under my head till morning; but the rain

Is full of ghosts tonight, that tap and sigh

Upon the glass and listen for reply,

And in my heart there stirs a quiet pain

For unremembered lads that not again

Will turn to me at midnight with a cry.

Thus in the winter stands the lonely tree, 

Nor knows what birds have vanished one by one, 

Yet knows its boughs more silent than before:

I cannot say what loves have come and gone, 

I only know that summer sang in me

A little while, that in me sings no more.


By Edna St. Vincent Millay




どんな口唇と求め合ったのか、場所も、理由も

覚えていない、どんな腕枕で

朝を迎えたのかも。雨は

今夜も亡霊どもで満たされ、溜息を吐きながらガラス窓を

叩く 返事を聞きたいと、

だから心は痛みで静かに乱される

真夜中に声を立てて求め来ることなど

もう二度とない 記憶の底に眠った男達を思って。

こうして今 一本の冬枯れの樹木となり、

どんな鳥達が一羽ずつ飛び立って行ったのかも、思い出せない

気がつけば 自らの枝にはかつてなく静寂が宿る。

どんな愛が去来したのか知る由もない、

解るのはただ 私の中の束の間の夏が

声を上げ歌ったこと、もう決して歌うことのない歌を。


(試訳:コティ)




By the way, today is my birthday. 
Age? 
Forget it.



Happy birthday to me.
I’m very happy to be born in almost the same year when he was born.
You really make me happy, Mr. Yoshinobu Ohga. Cheers!
 







 





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